企画/空き家と遊休農地、〝課題先進地〟住田では①

▲ フローリングの張り替えを自ら行った平林さん=下有住

現場から何が見えるか

解決につながらない背景は

 

 空き家と、遊休農地の増加──。人口減少が進む住田町では、二つの大きな地域課題に抜本的な解決策を見いだせない状況が続く。いずれも、決して町だけの問題ではなく、気仙両市でも直面し、全国でも同じ課題に苦しむ自治体は少なくない。今は何が大きな障壁となり、行政などの支援策が届いていない分野はどこか。住み慣れた地域で農地を耕し続けるために、どのような展開が求められるのか。実際に空き家と遊休農地を活用する動きに光を当てながら、今後のあり方を考えたい。(佐藤壮、随時掲載)

 

「住」

暮らすための足跡伝えたい

 

 3月12日、下有住地区公民館にほど近い築50年以上が経過した一軒家。町地域おこし協力隊として昨年4月に赴任した平林慧遠さん(32)が、台所付近のフローリングを張り替える作業に集中していた。慣れない手つきながらも、少しずつ新築と変わらない床の輝きが広がった。
 その間、トイレや風呂の水回り付近では、水道工事業者が改修作業を行っていた。4月から家族で本格的に住み始めるためのリフォームが、急ピッチで進んでいた。
 平林さんは岩手大学卒業後、岩手県職員となり、平成21~23年度は県大船渡農林振興センターで勤務。協力隊では、町の基幹産業である農業、林業振興への貢献を見据える。
 協力隊は都市部在住者が対象で、採用された後は町内に住所を移さなければならない。平林さんは着任当初、下有住・中上団地の木造仮設住宅に入った。
 「独身であればいいかもしれないが、この先4人家族が長く住むのは厳しい。妻も昨年までは、大船渡市内に職場があった」と平林さん。妻と娘2人は、平林さんが着任前から借りていた大船渡市内の一軒家に住み続けたため、単身赴任に近い生活を重ねた。
 子育てにもしっかり向き合い、協力隊の使命である下有住での農業や活性化に集中するために、着任当初から協力隊の活動拠点がある下有住で家族一緒に暮らすための方策を考えてきた。しかし、町営住宅は空きがなく、退去者待ち状態が続く。
 町が27年度に実施した空き家に関する調査では、全住宅の16%にあたる約330戸で日常的に居住世帯がおらず、このうち41戸が年間を通じて利用されていなかった。町はホームページの空き家バンクで情報を公開しているが、下有住は1軒にとどまる。それも賃貸ではなく、売却希望だった。
 着任から約半年。平林さんは昨年秋、地域住民から空き家バンクにはない住宅を紹介された。公民館活動を通じて顔見知りとなり、ふとした会話の中で話題に上った。
 平林さんが空き家を活用することで、住田町の人口が3人増える。しかも、少子化が進行する中で、2人の子どもが住民になる。人口5600人余りで、年間100人ペースで減少する町にとっては、これ以上喜ばしいことはない。
 空き家の活用は、家や周辺が荒れるのを防ぎ、人口増にもつながる一石二鳥の施策。にもかかわらず、なかなか進まない。行政などの施策が、借りたい側のニーズと、貸したい側が抱える悩みや不安に追いついていない現状がある。
 どんな手続きが必要か、欲しい情報は何か、どこで困ったか。平林さんは、空き家に移住する自分の足跡を発信することが、人口増につながるかもしれないと思うようになった。
 「都会ならば、インターネットで情報が得られる。でも、住田のような地方はそうはいかない。貸したい人も、貸し方が分からない面がある。お金や生活がかかわることだから、調整も重要。どういう過程で空き家を見つけ、改修をして、住み始めたかをまとめたい。それが、外から来る人を増やすことにつながれば」と語る。

 

「田」

何度も必要な田起こし作業

 

 3月29日、上有住天嶽地域の町道沿いにある田。雑草の緑色が目立ち始めた遊休農地で、下有住の農業・佐藤道太さん(33)がトラクターを動かし、田起こし作業に励んでいた。


数年間耕していない田でトラクターを動かす佐藤さん=上有住


 土を起こさなければ、農業機械を使ったその後の作業がスムーズに進まない。切り株や枯れ草といった有機物を混ぜ込み、分解することで養分となる。水張り前の下準備は、秋の収穫に直結する。
 毎年耕作している田であれば、トラクターによる田起こしは1回で済む。しかし、数年間耕作していない農地は、雑草を細かくしなければならず、何度も繰り返さなければならない。「また何日かしたら、ここで作業する」と語り、上有住の別の農地で使用するためトラクターを移動させた。
 昨年策定された町第6次農業基本計画によると、町内における農家人口(農家を構成する家族の総数)は昭和55年には6000人を超えていたが、平成27年は1267人と、5分の1に減った。22年からの5年間だけを見ても530人減少した。
 経営規模別の農家数は、12年には1㌶以上の農家が100を超えていたが、15年後の27年には半減。その一方で0・3㌶未満の「自給的農家」は386戸で、57戸増加した。規模が大きな生産者が減れば、当然耕作放棄地は増える。
 町が昨年策定した第6次農業基本計画では、農業について産業振興だけでなく、生活を支える集落機能や環境保持などの観点でも重視。担い手や集落組織などによる営農促進を目指すとしている。
 大学卒業後、古里で農業に従事する佐藤さんは今年、8㌶の田で水稲を手がける。このうち約1㌶が、新たに借りた遊休農地だ。そもそも、佐藤さんは、自らの田は0・3㌶しかない。所有者が耕作しなくなった土地を生かし、結果的に雑草や鳥獣に荒らされるのも防いできた。
 最近、耕作をあきらめた所有者個人ではなく、土地所有者らで組織する地域の営農組合から農地を紹介されるケースが増えたという。地域の農地を地域で守る運営にも、厳しさが垣間見える。
 遊休農地は点在しているため、効率性も良くない。「復旧するまでのコストに加えて、その後の管理も手間がかかる」と佐藤さん。遊休農地のハンデを埋めるような支援策は、なかなかない。
 それでも佐藤さんは「ここで暮らすには、農業しかない。(農業設備の)借金を返していくには、今のやり方しかない」と、現状を冷静にとらえる。今後は10㌶程度までは個人の力で広げたいと考える。