長年の功績に栄誉輝く、気仙から4氏が受章 各分野で業務に精励/秋の叙勲

 政府は、3日付で発令する平成30年秋の叙勲受章者を発表した。受章者は全国で4084人、県内在住者74人。気仙からは、元陸前高田市議会議員の菅野日出男さん(70)=陸前高田市米崎町高畑=が地方自治功労、一般社団法人岩手県建築士事務所協会長の新沼義雄さん(80)=大船渡市立根町関谷=が建築設計監理業振興功労で旭日双光章を受章。県警察嘱託医の菊田裕さん(71)=同市大船渡町明神前=が警察協力功労で瑞宝双光章、元民生・児童委員の村上登男さん(83)=陸前高田市高田町西和野=が社会福祉功労で瑞宝単光章を受ける。4人は、各分野で長年にわたって業務に精励し、地域社会の発展、住民福祉向上への功績が認められた。

 

旭日双光章(地方自治功労)菅野日出男さん

市議として16年市政振興に尽力

 

 平成7年、陸前高田市議を4期務めた父、故・金五郎氏の跡を継ぎ、同市議選に立候補し初当選。以来、23年9月まで4期16年にわたって市政振興のために汗を流し続け、この間、気仙広域連合議会議長などを歴任した。
 気仙町出身。気仙沼高卒業後、地元の巻き網漁業会社で17年間勤務したあと、食品の受託加工を手がけ、家業の農業にも従事した。
 「一般質問には必ず登壇する」を信念に、地域の課題を熱心に探ってきた。「市民の声、悩みを行政にぶつけられるよう自分なりに一生懸命勉強してきた」と自負する。
 充実した議員人生を大きく変えたのが、東日本大震災。自宅2階で首の高さまで津波が押し寄せ、家ごと流されたものの、奇跡的に助かった。
 しかし、1階にいた金五郎さんは亡くなり、自身もたびたびめまいに襲われて2度入院。まちは緊急事態の中、市議としての務めを果たせず、歯がゆさだけが募った。体調不良を押し隠し、市議5選も目指したが、結局、勇退を決意した。
 受章の報に「震災後、地域のために何もできなかっただけに、素直に喜んでいいものなのか」と複雑な心境を口にする。現役議員に対しては「これからまちは大変な局面を迎える。復興を第一優先としながらも、身近な地域の問題を解決していく存在となってほしい」と期待を込める。

 

旭日双光章(建築設計監理業振興功労)新沼義雄さん

数々の物件を手がけて50年

 

 栄えある受章の知らせに「名誉なこと」と謙虚な言葉で喜びを語る。
 昭和28年、当時の立根中を卒業後、東京都の工学院大学高等学校に進み、その後、㈱安田臣建築設計事務所に入社した。昭和42年に大船渡に戻り、同43年1月に1級建築士に。同年10月31日、㈲新沼義雄建築設計事務所を立ち上げ、今年で50年を迎えた。
 独立後の47年、初めて手がけた大型物件は、末崎町の碁石海岸にある碁石海岸レストハウス。松林の中でシンボリックな建物となるよう設計。「誇れる建物だと思っている」と語り、日ごろから多くの人が利用していることについて「うれしく思う」と目を細める。
 その後も、気仙では立根町の県立福祉の里センターや盛町の大船渡警察署庁舎、現盛小学校、JAおおふなと本所など、数々の物件を手がけてきた。
 平成24年には、一般社団法人・県建築士事務所協会の会長にも就任。本年度からは、同・日本建築士事務所協会連合会の副会長なども務める。
 震災後は、県地域型復興住宅推進協議会の会長に就き、住宅再建の相談に応じるなど、被災者に寄り添った活動も展開してきた。
 事務所の設立から50年という節目での受章に「不思議なものですね」と語る。

 

瑞宝双光章(警察協力功労)菊田 裕さん
健康管理や死体検案に努める

 

 秋田県秋田市出身。昭和61年7月、父親が院長を務めていた大船渡市大船渡町の菊田外科医院を継いだ。同63年から警察嘱託医として大船渡警察署員の健康管理に尽力したほか、同署管内の死体検案業務にも従事した。
 受章の知らせには「開業医ならば、企業の嘱託医になっていることが多い。自分の場合は、それが警察だった。頼まれたことを当たり前にやっただけであり、大きな苦労をしたわけではないので、どこか申し訳ない気持ちもある」と控えめに話す。
 東日本大震災の際は、100人を超える犠牲者の検案にかかわり、溺水や外傷といった死因の特定や、事件性の有無などを調べた。「大震災に限らず、死亡した前後のことを調べたり、ご遺体を洗ったりするのは警察の仕事。警察や関係者の皆さんの方が大変だったと思う」と話す。
 その一例が、大震災から10日ほど後に、足のむくみを訴えてきたという警察官。パンやおにぎりのみの食事を続けながら、不眠不休で活動を続けた結果、かっけを患っていた。「こうした警察の労苦を間近で見てきて、むしろこちらが勉強になった」と、しみじみと語る。
 70歳を超えたが、今も院長として第一線で働く。「体が続くうちは病院を続けるつもり。嘱託医としても、頼まれる限りは協力していきたい」と力を込める。

 

 瑞宝単光章(社会福祉功労)村上登男さん
36年にわたり悩み相談に乗る

 昭和49年から平成22年まで陸前高田市の民生・児童委員を務めた。受章の知らせに「〝たなぼた〟な気持ち」と語るが、36年間にわたって世帯の困りごとに耳を傾けてきた功績は多大だ。
 高田町の和野生まれ。和野地区には顔なじみが多く、気仙地方農業共済組合の職員として市内各地の農家と付き合いがあったことから顔も広かった。とはいえ、「できる限り歩いて回ることを心がけ」100世帯以上ある地区内で、普段から親しんでもらえるよう心を配ってきた。
 民生委員というよりは〝近所のお父さん〟としての役目に徹した。上からものをいうのではなく、親身に。深刻になりすぎないよう、笑顔で。必要があれば関係機関を紹介し、一緒に解決の糸口を探る。相談に乗る前は暗い表情をしていた相手が、話し終えたとき晴れやかな笑顔を見せてくれるとうれしかったという。
 委員を退いた今も相談を受けることがあり、周囲からの信頼の厚さをうかがわせる。
 民生児童委員として「安定した家庭で、みんなが幸せに暮らせることが何より大事だと考えてきた」と村上さんはいい、「自分側の話ばかりでなく、相手の話をよく聞いて理解してあげることが大切。最終的に納得してもらって、気持ちよく笑ってもらうことが一番では」と、後進の活躍に期待を寄せる。