東日本大震災10年/吉浜の足跡 未来の防災に 大船渡津波伝承館がセミナー  「奇跡の集落」広く発信

▲ 座談会に参加した(左から)柴山氏、東氏、柏﨑氏、小松氏

 明治から昭和にかけて住居の高台移転などを進め、東日本大震災の人的被害を最小限に抑えたとして、震災発生直後から注目されてきた大船渡市三陸町吉浜地区。その足跡を後世に伝えようと、一般社団法人大船渡津波伝承館(齊藤賢治館長)によるウェブセミナー「未来への提言~奇跡の集落・吉浜に学ぶ~」が7日に行われた。英断を下した村長の信念や伝承活動の歩みを振り返りながら、人命を守る事前防災の重要性を発信した。


旧村長らの信念伝える


 吉浜地区は船舶や養殖施設、農地では甚大な被害を受けた半面、住家被害はほとんどなく、国内外のメディアから「奇跡の集落」「ラッキービーチ」と称された。
 被災規模が際立って少なかった要因の一つは、過去の津波被害を教訓とした高台移転。明治29年の明治三陸大津波では、死者・行方不明者が人口の約20%に当たる200人を超え、家屋の流出は35戸に達したとされる。当時、吉浜村の初代村長である新沼武右衛門の指導で、家屋を山側に移転させた。
 昭和8年の昭和三陸地震津波では、住宅全壊は15戸、死亡・行方不明者17人の被害を生んだ。犠牲者の多くは、炭庫に仮住まいしていた地元外からの移住者とされる。その後、8代目村長の柏﨑丑太郎が、高台移転の徹底を進めた。
 震災10年に合わせ、伝承館ではこうした足跡を発信し、次世代にどう伝えるかを考え、提言を行うセミナーを企画。市や三陸町の吉浜地区公民館、津波石保存会などが後援した。
 オンライン形式で行われ、大船渡町のまるしち・ザ・プレイスから発信。防災・減災に関するパネルディスカッションでは、東堅市氏(吉浜津波記憶石建立実行委員長)と柏﨑悦子氏(柏﨑元村長のひ孫)、小松則也氏(『日本一小さな本屋』原作者)が登壇し、柴山明寛氏(東北大学災害科学国際研究所准教授)がコーディネーターを務めた。
 震災発生直後を振り返った東氏は、他地区の中でも早期に避難所が解散となり、復旧工事や農漁業の生産活動再開に向けた動きに着手した動きを紹介。柏﨑丑太郎は明治の津波では家族を亡くすなど、悲しみを乗り越えながら施策を進めたとし、先人の遺業をたたえ、後世への伝承活動充実の重要性を強調した。
 柏﨑氏は、親族から丑太郎の足跡を聞かされてきたといい「吉浜の貧困解消と、高台移転の実現に向け、住民からうらまれることもあったそうだが、強い信念を持っていた」と語った。
 自宅では長年、盆時期に津波が描かれた掛け軸をかけていた伝統にも言及。「大津波はやっぱり恐ろしいものであり、こういった風習も大切では。幼い時からの教えや、訓練も大事。頭の隅に津波のことがあり、いざという時にとっさに行動できるようにしなければ」と述べた。
 小松氏はこれまで、実話をもとにした震災学習テキスト「吉浜のつなみ石」の発行などに携わってきた。昭和三陸津波で流され、震災後に地中から現れた巨大な「津波石」などに触れ、津波の脅威を知らしめる〝歴史の証人〟を伝え残す大切さを訴えた。
 そのうえで「吉浜の足跡は、大船渡でも知らない人が多いのでは。被害が大きかったところがクローズアップされがちだが、少なかったところから学べるような流れも重要」と提言。最後に柴山氏は「吉浜では、先人の知恵や昔からの伝承ができていることを、さまざまな団体と情報共有していくことは非常に重要」と述べた。
 セミナーではこのほか「いにしえの教えに学ぶ」として、同法人理事で大船渡市出身の俳優・横道毅氏による紙芝居「吉浜のおゆき」を披露。引き続き「子供たちに伝えよう」として、吉浜小児童がかつて「吉浜のおゆき」を公演した体験談も紹介された。
 さらに「三陸の魅力発信を忘れずに」と題し、今後の地域振興を見据えた発表も。齊藤館長と市地域おこし協力隊の佐々木イザベル氏、同法人理事の佐藤健氏らが、自然資源などの魅力を伝えた。