スポット当たる「綾里富士」 校歌・校章にある地域の象徴 住民の入山減るもハイカーら訪問 徐々に増(別写真あり)

▲ 梅雨の晴れ間を縫って山頂付近のお宮を参拝した小谷さん㊧と木下さん

 「綾里富士」と呼ばれる大船渡市三陸町綾里の大森山(479㍍)。地元小学校の校歌に歌われ、統合した旧中学校の校章のモチーフともなった綾里の象徴的な場所だ。近年は地元住民でも訪れる機会がめっきり減っているが、登山ブームや長距離自然歩道「みちのく潮風トレイル」の開通も背景に、足を延ばすハイカーも見られるようになるなど、ひそやかにスポットが当たっている。

 

 大森山は綾里地区の中央部に位置。綾里小の校歌では「雲をつらぬく 大森の 永久に動かぬ その姿」と歌われ、今春に赤崎中と統合して東朋中となった綾里中の校章では、立石山、八ヶ森とともにデザインされた。校章デザインは学区内3地区(赤崎、蛸ノ浦、綾里)の連携という由来を持たせ、東朋中に引き継がれている。
 かつては牧草の採草地としても用いられるなどして人の出入りがあったというが、現在は地元住民でも踏み入る機会はほとんどない。山頂近くには大森神社があり、別当の小谷武さん(72)=字岩崎=が定期的に参拝や手入れをしている。
 梅雨の晴れ間が広がった25日は、知人の木下達之佑さん(77)=字清水=とともに登った。お宮は高さ50㌢ほどの石造り。2人はセミの声と木々のざわめきの中、小さなお宮にお神酒や米をささげた。小谷さんによると「時期は分からないが、木造だったものが採草があったころの野焼きの際に焼けてしまい、その後にいまの造りになったと聞いた」という。
 三陸町史では、「気仙郡綾里村羽黒派南光院跡書上帳」(文政10年=1827)の記録から、村内の神社について記載している。南光院は、いまの市杵島神社で、跡書上帳は文久元年(1861)の火災で多くの古記録を消失した中で残ったとされる。
 この中にある大森神社にかかる記述を見ると、祭神は火難消除、航海・漁業、農業・機織などの神徳があるとされる木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)。別当は南光院、地主は「熊の入平助」。「駿州富士山を勧請と云う」との記述もあり、小谷さんは「建立の時期など詳細は分からないが、『綾里富士』の名の由来は富士山信仰にあったのだろう」と推測する。
 かつて、同神社の縁日などには地域の人たちも参拝したというが、現在、その姿は見られない。この日同行した木下さんもおよそ50年ぶりといい、「綾里の象徴たる山だが、実際に足を運んだことがあるのは、われわれあたりの世代が最後になるのではないか」と語った。
 一方で、近年の登山やトレッキングのブームも手伝ってか、特に一昨年の「みちのく潮風トレイル」全線開通以降、地元外から訪れる人々の姿を目にするようになったという。潮風トレイルのモデルコースから足を延ばしているとみられ、インターネット上でその〝登山録〟を発信する愛好者もいる。
 こうした中、小谷さんと家族は山頂への木製看板やルートの目印となるリボンを木に結ぶなど、環境を整えている。小谷さんは「いまは木が生い茂っているが、綾里を一望することもできる山。地元内外の人たちにも知ってもらえるのならば、うれしく思う」と話している。