インタビュー2022/挑む気仙人④ 新日本舞踊「倖崎流さすけ会」家元・尾﨑勇款さん(25)

地域の「和」広げる力に

 

 ──新型コロナウイルス禍で市民の楽しみが減っている中、22日に「おどりっこNight(ナイト)」、23日に「倖崎流扇勝負」と題し、連日公演を行った。2日間を終えての感想と今年の意気込みを聞かせてほしい。
 勇款 開催することに不安もあったが、みんなが笑顔で喜んで帰ってくれたことが一番の喜びだ。「扇勝負」は「扇形のように末広がりに多くの人に幸せが訪れるように」と願いを込めた。コロナの状況次第だが、「おどりっこ教室」などの開催を通じ、踊りに出会ってもらう機会を増やしたり、新しい曲に挑戦したり、勝負の一年にしたい。
 ──平成28年に20歳の節目にさすけ会を設立し、一昨年には自身の芸道20周年を記念して「倖崎流」を創流した。現在の活動状況は。
 勇款 地元の末崎町と盛町で教室を開講している。「明るく・楽しく 地域の和 感謝の心を忘れない」をモットーに、幼児から70代まで25人ほどが月に3回集まって稽古しているほか、個別稽古も行っている。
 ──コロナ禍による活動への影響は。
 勇款 昨年8~9月は県独自の緊急事態宣言で施設が閉鎖され、稽古ができなかった。祭り、イベントなどがなくなり、踊れる機会も少なくなってしまっている。稽古や公演がないと、人と会うことで活力や元気になったり、人と人がつながったりすることもできない。みんなが集まり、にぎわいを取り戻せるまで地道に活動を続けたい。
 ──さすけ会の舞踊の普及、裾野拡大のためにどんな工夫をしているか。
 勇款 22日の公演では高校時代からの親友のギターボーカル・鷲田剛生さん=盛町出身=とコラボレーションしたり、「J―POPメドレー」を取り入れたりなど、敷居が高いと思われがちな舞踊に若い人たちにも知っている曲で興味を持ってもらい、触れる機会をつくりたいと思っている。
 今年から師範を襲名した妹・美琴は仙台市在住で、新たに「仙台支部長」とした。まだ仙台で何かを始めているわけではないが、今後倖崎流を各地に普及していきたい。
 ──東日本大震災からは今年で11年となる。自身も被災を経て地元で活動を続ける思いを聞かせてほしい。
 勇款 震災の時の思いもあり、23日の公演の休憩時間にはさすけ会として生徒たちと募金活動を行い、約7万円が集まった。トンガ沖で起きた海底火山噴火による被災地に寄付したいと考えている。
 (末崎町の)自宅が被災した震災直後は「勇款君の踊りで楽しませて」と言われ、残ったCDと着物を使い、碁石地区コミュニティセンターなど、避難所や福祉施設を回って踊った。「良かったよ」「またやってけで」と言葉を受け、踊りが誰かのためになるんだと分かったことが根本にある。地元で活動しようとしたのもその思いからで、倖崎流の「崎」は末崎の崎を使っている。地元では風化することはないと思っているが、それでも震災はこれからも演目や話に絡めながらやっていきたい。
 ──現在の大船渡についてどう感じているか。
 勇款 地域が抱える問題や行事などで、若い人が声を上げられる場、若い人の声を反映させる場をつくれていない。観光地もおいしい物もたくさんあるのに魅力の発信が足りないとも考えているので、市外で公演する時には大船渡をPRしている。大好きなまちだからこそ、もっと頑張って盛り上げたい。
 ──舞踊を通じ、生徒の皆さんに対して願うことは。
 勇款 大人の方々にとっては、長く生き生きと交流し続けられる場になってほしい。子どもたちには踊りが上手なだけではなく、踊れる環境と支えてくれる人たちへの感謝の心を忘れず、「ありがとう」と言える気持ちを持ちながら、踊っているのを応援してもらえる人になってほしい。自分も教育者として、襟を正しながらやっていきたい。
 ──舞踊を通じ、地域でどんな役割を果たしたいか。
 勇款 仮設住宅で暮らしていた頃の濃い付き合いと比べると、地域のつながりがあまり感じられなくなっている。踊りが地域のつながり、「和み」の場を広げ、薄れた地域コミュニティーを再生する力になってくれればいい。(聞き手・八重畑龍一)