東日本大震災 きょう12年 祈りは絶えることなく 荘厳寺(竹駒町)髙橋住職 犠牲者の名つづり悼む
令和5年3月11日付 1面

気仙に大きな傷跡を残した東日本大震災から、きょうで12年。大津波によって破壊された構築物を元に戻す復旧の事業はほとんどが完了し、「ポスト復興」のステージに入っている。がれきに埋もれた地域がよみがえった一方で、大切な人を失った悲しみは歳月を経ても癒えることはない。十三回忌もその先も、ここ気仙の地において、鎮魂の祈りは続く。
「亡くなった方々を悼み、思い続ける。それが僧侶のあるべき姿だ」──。
陸前高田市竹駒町の功徳山・荘厳寺。本堂に入ると、両側の壁一面に震災犠牲者の名前が書かれた半紙が掲げられている。髙橋月麿住職(76)は、震災から十三回忌となる今年も、毎日の勤行で自身が手書きしたこの名前を一人一人読み上げ、追悼と鎮魂の祈りをささげている。
平成31年4月に青森県八戸市から同寺にやって来た髙橋住職。「ある人から『震災後に気仙地区を訪れた時、まちの中で人形のようなものを見た。1カ月ほどたってから来ると、まだある。よく見ると、それは小さな子どものご遺体だった』と聞いた」。
被災地の悲惨な現実を突きつけられ、胸が痛んだ。「犠牲者の無念、そして残された遺族の心が少しでも和らぐように」と、供養の意味を込めて犠牲者の名前の墨書を始めた。
大津波によって、大船渡市では340人、陸前高田市では1557人が犠牲となった。大船渡市の79人、陸前高田市の202人は、今も行方が分からない。
髙橋住職は、令和元年の8月から半紙に13人ずつ犠牲者の名前と年齢を書き、気仙3市町合わせて約1900人の名簿を作成し、本堂の壁に掲げた。母親と0歳の親子の名前に、筆が止まることもあった。「これは親子かな、これは夫婦かな」。生きたくても生きられなかった人々に思いをはせながら、県内全域、宮城、福島と筆をとり、1万5770人分を書き上げた。
地元、遠方を問わず遺族らが訪れ、思いを話してくれるようになった。その一方、十三回忌を迎えた今も、心の傷が癒えず、苦しみを抱え続ける姿もあった。「このまま名前を読み続けるべきか」。葛藤もあったが、亡き人が生きていたことを証明するために、声に出し続けると決めた。
「少し照れくさいけど、(亡くなった方に)『そっちはどうだ』『元気でいるか』と語りかけるように拝んでいる」と髙橋住職。「今を生きるわれわれにできることは、犠牲者を思い続けること。名前はその人が生きた証し。悲しみを背負う人に安心感を与え、いつでも手を合わせに来られる、そんな場所でありたい」と、これからも犠牲者と遺族の心に寄り添い続ける。(菅野弘大)