「安心の空間 提供したい」 震災で妻とひきこもりの息子亡くした佐々木さん 講演で思い語る

▲ 生きづらさを抱える人が利用できる居場所の運営方針などを説明した佐々木さん

生きづらさ抱える人の居場所開所へ

 

 東日本大震災で妻とひきこもりの次男を亡くした陸前高田市広田町の元小学校教諭・佐々木善仁さん(74)が5日、高田町の奇跡の一本松ホールで講演した。題材は「不登校・ひきこもりだった我が子の親として─私の居場所づくり─」。13年前、愛する2人を亡くした佐々木さんは、中心市街地に生きづらさを抱える人が自由に集える「居場所」を自費で建てた。施設は24日(月)の開所を予定。講演で「自宅以外に、安心して自分らしくいられる空間を提供したい」と決意を語った。(高橋 信)

 

 講演会は、市各種女性団体連絡会(金野ヨシ子会長)が主催。

会員や一般の市民ら約60人が集まった。
 佐々木さんは教員として30年以上勤務。次男・仁也さん(享年28)の不登校は、中学2年生の時に始まった。佐々木さんの転勤に伴う転校がきっかけだった。
 子どもが大好きで、「学校人間だった」と仕事に没頭してきた佐々木さん。当時は管理職を務め、早朝に家を出て、夜遅くに帰ってくる生活を送り、家族との団らんの時間は限られた。仁也さんと家の中で顔を合わすことはなく、「妻を通して息子の話を聞いていたが、息子や妻の気持ちを考える余裕がなかった」と振り返る。
 仁也さんは中学2年間の不登校を経て、通信制の高校をほぼ無欠席で卒業。しかしその後、再びひきこもるようになり、平成23年3月11日、一家はまちを襲った災禍に巻き込まれた。当時、小学校長だった佐々木さんは無事だったが、避難するため仁也さんを外へ連れ出そうとした妻・みき子さん(享年57)と部屋から出ようとしなかった仁也さんは、家ごと津波にのみ込まれ、帰らぬ人となった。
 佐々木さんは、妻が生前立ち上げた「気仙地区不登校ひきこもり父母会」(古川光子代表)の運営を引き継ぎ、事務局を務めている。「あなたは不登校だからだめだということではなく、不登校のあなたが大好きだと、ありのままを受け止め、肯定することが大事なんだと、父母会の活動から教えられた」という。
 そんな生きづらさを抱える人を「ありのまま」受け止める新たな場が、佐々木さんが高田町に建てた木造平屋の「虹っ子の家」だ。「行政からの助成金などを使うと成果が求められるが、そうはしたくなかった」と、整備費は自身の退職金と妻の貯金を充てた。施設名は、みき子さんが最初に相談に出向いた釜石市の父母会「虹の会」をなぞらえた。
 講演でみき子さん、仁也さんへの思い、みき子さんが生前開設を願っていた居場所の構想や運営方針を紹介した佐々木さん。最後に「生きたかったけれど、生きられなかった人を思うとき、命の尊さ、重さをひしひしと感じる」と語り、不登校児の自殺の問題を引き合いに出して「何より大切なのは命」と強調。「行きたくもない学校に行き、命を絶つ人がいる。そんなに追い込ませる場所に行く必要はあるのだろうか」と提起し、生きづらさを抱える人への理解や支援の輪を広げる重要性を説いた。
 金野会長は「佐々木先生は自分の体験を通し、困っている人を助けたいという思いで居場所をつくったのだと思う。どこに相談すればいいか分からない人たちのよりどころとなってほしい」とエールを送った。