震災時のエピソードなどつづる 陸前高田市高田町出身の平松さん 故・やなせたかしさんの〝最後の編集者〟 エッセー集『善き人であれ!』発刊

▲  エッセー集は愛育出版から刊行。B6判238㌻で税抜き1500円。同市の伊東文具店などで販売している。

 陸前高田市高田町出身の絵本作家・平松利律子さん(66)=東京都目黒区=のエッセー集『善き人であれ!』が、このほど発刊された。平松さんは、国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親である漫画家の故・やなせたかしさん(享年94)を担当した〝最後の編集者〟として知られ、やなせさんが東日本大震災後の同市を支援するきっかけをつくった。著書では、少女時代の夢を実現した平松さんの人生や、やなせさんが震災後の陸前高田を支援するに至った当時のエピソード、これからを生きる子らへの思いなどをつづっている。(阿部仁志)

 

 平松さんは、幼稚園年中のころまで同町で暮らし、その後神奈川県川崎市へ移住。夏休みには古里に足を運び、高田松原での海水浴や、母の実家があった米崎町のリンゴ畑でのセミ取り、お天王さまの時期にはホタル観賞をしたりと、幼い頃の景色が脳裏に焼き付いているという。
 やなせさんとの出会いは中学校時代。やなせさんが編集長を務めた雑誌『詩とメルヘン』を読んで感動し、本人との交流機会も得て「将来はやなせ先生の本をつくる」と決意した。発行元の㈱サンリオ(東京都)に入社し、その後、子育てのため退社するも夢を諦めず、48歳で㈱朝日学生新聞社(同)の嘱託社員に採用され編集者に復帰。平成22年、50歳のとき、同社が発行する「朝日小学生新聞」で、やなせさんの作品を連載する「やなせたかしのメルヘン絵本」の企画が通り、長年の夢をかなえた。
 その翌年、東日本大震災津波が古里を襲い、多くの思い出の場所が失われた。当時平松さんは、「アンパンマンのお話で陸前高田を助けてください」とやなせさんに願い、やなせさんは「アンパンマンは、一つの町だけを特別に応援はできない。でも、ぼくがきみの故郷を応援してあげよう」と話したという。
 高田町に住む叔母・菅野浩子さん(83)と連絡を取り合う中、約7万本のマツが流失した高田松原で生き残った〝奇跡の一本松〟の存在を知った平松さん。やなせさんはその話を聞き、自費制作した「一本松ハンカチ」を市に寄贈して復興を後押ししたほか、一本松保存募金にも多額の善意を寄せた。やなせさんが息を引き取ったのは、陸前高田市から感謝状が贈られた25年の10月13日だった。
 今年9月まで放送されたNHK連続テレビ小説「あんぱん」でも注目を集めたやなせさんだが、陸前高田の復興を支援した事実は知っていても、そのきっかけとなったエピソードを知る市民は少ない。今年8月に『善き人であれ!』が発行されたあと、菅野さんは本を読んだ知人から「やっと(経緯が)分かった」と話されたという。
 菅野さんは「震災当時、90歳を過ぎていたやなせさんが、一本松に『ヒョロ松君』と名前をつけて、周囲の人がいなくなっていく自分自身と重ねていたという話が、とても印象に残っている。本が出版されたことは身内としてうれしく、やなせさんと陸前高田のつながりを改めて伝え残すという意味でも、敬意を表したい」と喜ぶ。
 「善い人でありなさい。人が喜ぶことをしなさい」と、やなせさんの言葉に育てられた平松さん。著書には震災のことのみならず、仕事と家庭の両立が難しい時代にも夢を追い続けたこと、子の感性を育てる教育普及への思いなど、人と向き合い続けた平松さんならではの言葉が詰まっている。
 平松さんは「活字に残すことが大事だと夫に説得されて生まれた本。執筆にあたり自分の人生を振り返ってみると、本当にいっぱいの宝物に出合っていたと気づけた。これからも、やなせさんの〝DNA〟を受け継ぐ者として、『夢は諦めなければ実現する』と子どもたちに伝えていきたい」と見据え、関係者への感謝も伝えていた。