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中断の功罪

まちおこし停止廃止で歩み止め (永澤敬一郎) 2009年11月19日
現実の実生活に関係する政治の世界では上に立つ者は目先だけではなく中長期の視野も入れて適切な決断をし、それを持って人々を説得させ実践しなければならない。最近の日本の政治の上に立つ者の多くがこのことを実践していないため、下々が困難に出合っているのである。

途切れたる男の会話秋深し (舟野広) 2009年11月19日
女性の会話はよどみなく続く場合が多いが、男性の場合それがポッツンと切れる場合がある。
会話が切れた時の沈黙をどうするかに男の人間性と力量がかかっている。
その沈黙の中に温かい心を通わせるか、気まずいものにするかは男同士の生きざまに関係してくる。
ギリシアの哲人も時を得た沈黙は英知であり、いかなる雄弁よりもまさるといっている。
気仙の男どもは多弁でない。会話が中断したときによく考えてから話をすれば内容のある話し合いになると思われる。


ぬくもり

秋深し独りになれば独り言 (富沢勝志) 2009年11月19日
秋には寂しさがひとしお感じられる。ましてや、一人留守や独り住まいになるとその寂しさはいいがたい。
芭蕉は 秋ふかし隣はなにをする人ぞ とよんでいる。江戸時代も隣に住む人と行き来がなかったので、秋の寂しさに重なって、寂しさがさらに深まってきたのだろう。

灯り消え長き廊下の霜の夜 (岩間照) 2009年11月19日
霜が降りる寒い夜に、当直で見回りに出かけた。灯りが消えた長い廊下は人気がなくがらんとして寂しい。灯りがともっているとほっとする。灯りは心の灯火である。蕪村は旅をして、雪の夜に宿を断られたが、その時に 宿かさぬ火影(ほかげ)や雪の家つづき と雪の降る夜の家並に灯りがともっている中に美さを感じて詠んでいる。まさに、明かりは心の灯火である。

家事終えて母は今夜も仕舞い風呂 (福崎武男) 2009年12月3日
気仙でも昔の農家は三世代、四世代と大家族が一緒に暮らしていた。姑に仕えている嫁は食事の後かたづけをして家族みんなが風呂に入ってから最後の仕舞い風呂に入ったり、家族を支えて働いていた。
農家では朝早くから夜遅くまで誰かが起きていたので人の気配が常にあった。
誰かが起きて働いている気配があると何か温もりを感じて安心するものだ。