2010/02/21 007



ゆく年くる年

ホテルの灯湖面にのびる鳰 (菅原和子) 2010年1月30日  
大晦日を家族で過ごすため湖畔のホテルに宿泊したのだろう。ホテルの玄関を出て湖を散歩していると、夕暮れが迫りホテルに灯りがともった。ホテルの灯りが水辺の鳰(かいつぶり)を照らし、その鳰の影が湖面まで伸びてきている。静かに大晦日の晩はすぎてゆく。

対岸の淡き島影初景色 (小島一三) 2010年1月30日  
元旦の未明に起きて海を眺めると湾内に浮かぶ島影がかすかに見える。今年一年の無事を祈って静かに手を合わせた。  
太陽と月の運動から大晦日と新年を定めて数千年、行く年くる年への思いはまた格別である。

縄文の隆文線や火炎土器 土偶の沈黙如何なる思い(梅下村) 2010年1月30日  
1月28日に上野の国立博物館縄文の土器土偶特別展示会を見てきた。  
縄文の土偶の現代彫刻に共通する抽象性と自由性、そして火炎土器の隆文線の運動性は縄文人達のどのような思いにつながっているのだろうか。このような感動と思いを抱いて常設展の弥生文化とその後の日本文化の展示を見た。
弥生文化の組織力を持った幾何学的に整然とした文化力の前には縄文の文化力は太刀打ちできなかったわけである。
弥生文化に征服されて2,000年以上も過ぎた現在、気仙坂(2010年1月30日)のコラムでは前方後円墳と古代中国の思想との関係、さらにはこれらを現代の宇宙科学に結びつけて述べている。
一つ気になることは現代科学を通しての宇宙とのつながりは述べているが、縄文文化へのつながりは触れていないことである。
21世紀の世界文明に通じる思想は宇宙に願いを込めていた縄文の文化に触れないでは生まれてこないと思う。


文化の蘇生

冬の日や休耕田の草の花 (菅野友子) 2010年1月30日  
休耕田や稲刈りが終わって冬を越した田んぼは春になると余所から飛んできて根をおろしたスミレ等の草花が一面に咲きだします。
田んぼには色々の草花が自分に適した自然のエネルギーサイクルを選んで命をつないでおり、これらの草花が稲の苗を植えた時の栄養分にもなります。
このように植物はお互いに違う自然の生命のエネルギーサイクルを分け合って命をつないでおります。

過疎地にも外国の嫁梅ひらく (村上久仁子) 2010年1月30日  
過疎地では若者は都会に出て行き、残って山村を支えている男の若者に嫁に来る女性がなかなか見つかりません。ようやく遠い外国から嫁さんが村にきました。
春の村は今梅の花が咲いて匂っております。遠い外国との新しい血縁関係が生まれる。ここから新しい地域文化が生まれ育ちます。
自然界の命の誕生と継続も、文化の命の誕生と継続も同じように引き継がれております。


気持ちを新たに

古希すぎて心新たに年新た (菅野友子) 2010年1月30日  
巡りくる新年、今年でもう古希を過ぎたが、新年を迎える時はいつも心が新たになる。折り目折り目に気持ちを新たに持つことを心がけよう。

山の井の水一杓の初手洗い (村上クニ子) 2010年1月30日  
新年に山の井の冷たい若水を柄杓に汲んで手と心を洗う。身も心も引き締まり何とすがすがしいことか。悠久の命に清められている心地がして来る。
毎日の生活はややもすると気持ちがゆるんでしまう。折々に気持ちを引き締めて新たにすると心が清々しくなり落ち着いてくる。これを心がけることが大切である。