2010/03/30 017



自然と地域への感謝 目に見えぬ支えで生きてきた感謝

40年以上前に世間で評判になった山本七平著「日本人とユダヤ人」に日本人は安全と空気はただであると思っているという事が述べられていた。
大気汚染や河川や海などの水の汚染という公害から日本人も空気や水の安全に関心を払うようになったが、厳しい国際関係を認識しない平和ボケは依然として続いている。高度な文明の発生と強力な政治勢力を生んできた旧大陸から程良い距離で島国で自然の程良い恵みの中で文化を築いてきたわが国には、大陸文化の性悪説への配慮とは異なり、無意識のうちに性善説に傾く事が多い。
大陸文化には被った被害に対する執拗な怨念の情念がみられるが、日本ではこれが薄いのである。戦争の被害と加害への意識も他の国と異なっている。他の国と比べて日本人は感謝に対しても怨念に対してもあっさりとした気質を持っていると思われる。
恩と感謝、義理と不義理、信と背信、慈悲と非情など21世紀の世界文明に向かって考えるべき徳目が沢山ある。気仙の文化の奥にはこれらを調和する深い脈流があると思われる。
2月23日付け東海新報の記事に「見直そう伝統の水車 環境社会で活用を」と題し、陸前高田市矢作町生出で初のシンポジウムが開催され、地球温暖化などでエネルギーのあり方が問われる中、河川水の流れをエネルギーに変える水車の働きを再確認し伝統技術活用への機運を高めたと報じている。
山が多い気仙の山間地を流れる川の水力の利用は一つの可能な取り組みであるが、これを実際に持続可能な水力エネルギーシステムとして組み立てるには地域が一丸となり、本気になって取り組む必要がある。
地域が地域で身の丈に合った利用できるエネルギーを開発して利用することは的を射た考えである。「年金のサイズで暮らし組み立てる」 (梅下村塾016) の川柳はまさにこのことを詠んでいる。
また同日の紙面に「食品表示をモニター 県がウォッチャー募集」が掲載されている。「心まで貧しくはない粗衣粗食」豊かな多様性の心を持ってモニターが行われることを願っている。「気仙坂」 “閉塞感を払う模様替え” で「いずれ政治にも景気も一種の閉塞感が漂う中では、このようなちょっとした変化でも何か新鮮に感じられることを実感した」 と述べられている。
「目に見えぬ支えで生きてきた感謝」美しくしずかな海山川の自然に恵まれ、育まれてきた気仙の文化と生活は、気仙に暮らし始めている外国人との暮らしと接点を持つことで見直され再構築されて、新鮮に感じ感謝の念が新たに湧いてくるのではないかと思う。受容と創造、豊かな多様性、自然と地域への感謝、これらの心情とエネルギーは気仙文化に深く潜む底力である。