2010/04/16 023



臨界点、絶対音感、絶対識感、三つ子の魂

大人しく出れば益々付け上がり (佐々木七草)
大吟醸飲めば飲むほど美味くなり (佐々木七草)
政治屋の資産はいつの間にか増え (新沼良子)
追憶の愛なつかしく美しく (新沼良子)
三本の矢となり妻子等の反抗 (木村自然児)
勝負球野手も動かぬ大アーチ (木村自然児)

臨界点」は原子力発電に見られる核分裂反応やべき乗現象を対象にした現代幾何学で用いられている言葉である。まさに現代の科学技術分野に深くかかわっている言葉である。東海新報2010年3月16日付けの「川柳・高田一柳会」と「川柳自選句(昭和55年)」から「臨界点」のイメージにつながる作品を選んでみた。
佐々木七草氏の作品からは、相手をなだめたりすかしたりする時の手加減の難しさや、あるレベルを超えた良質の吟醸酒の美味しさが伝わって来る。
新沼良子氏の作品からは、選挙で政治家に選ばれてしまうと、政治家は自分の資産が自然に増える仕組みに法律をお手盛りしていることや現実の生々しい記憶も時を越えれば懐かしく美しい思い出になることが浮かんでくる。
木村自然児氏の川柳は、子どもらが大きくなると妻と手を組んで親爺に反抗して家庭での勢力関係が変わってくることや、野球試合では大アーチを打たれるとボールを追いかける気持ちがくじけてしまう。
これら文芸欄から浮かんできた「臨界点」は3月16日の「気仙坂」 “哲学を借りてさとろうか” では「絶対識感」、3月12日の「声」 “親父の戯れ言に大賛成〜気仙にもオーケストラを〜” (大船渡市三陸町越喜来・平田栄夫氏)では「絶対音感」、同日「陸前高田市読書感想文コン最優秀賞」 “『ごくらく ごくらく』って言ってみた” (横田2年村上れん君)では「三つ子の魂」として伏流水としてつながっている。
「臨界点」は自然科学の世界では物質運動と状態の相転換、例えば気圧と温度の状態によって蒸気が水に、そして氷に変わることなどとして知られている。
生物界では生物進化の過程で種の絶滅、新しい種の進化発展などが知られており、これらの進化の過程が人間の胎児の成長期に現れてきている。胎児は受精して数週間を過ぎると魚や鰐の姿を偲ばせる形を示して来る。この現象を生物学的言葉でいうと、個体発生は系統発生を繰り返すと言われているように、我々人間は歴史的時間の流れ、仏教でいう因縁の世界に生きていることになる。昆虫はさなぎが成虫に変態して生まれてくる。
3月16日の「川柳・高田一柳会」の作品や「川柳自選句」を、この臨界点の視点とつなげて評論すると、生き物として変化している社会の姿が浮かんでくる。
絶対音感」の教育は3歳から6歳と幼児期に始めると良いとされている。動物は人間が心地よいと思うあるメロディーを聞かせると心地よさそうな反応をしてくると言われている。音感は広く動物に共通しているものがあるのかも知れない。
絶対音感はこのことと関係しているのかもしれない。絶対音感教育への取り組みは、人間社会を越えて動物界との共存への取り組みにおいても大切であると思う。
平田栄夫氏の “気仙にもオーケストラを” は、縄文文化からの長い歴史を持つ気仙の文化の底に流れる歴史の音楽を蘇させるためにも是非取り組んでもらいたいものである。
「絶対識感」は社会的動物である人間が生きていくための善悪の判断につながる感覚と定義することもできる。
絶対音感を超え言葉の世界を生みだした人類は意識と無意識の絡み合う深い心の世界を生みだしたことになる。言葉も生き物であり、鍛えないと弱くなってしまう。どのようにして鍛えるのか、物事を突き詰めて考えて言葉に表すことである。世間で言うところの「哲学を学ぶ」ということである。
「気仙坂」は国会討論の不毛なことを嘆いて、税金から高額の給料をもらっている首相を始めとする政治家の勉強不足とその見識のなさを指摘している。政治家の見識の教育も幼児期から始めるのが良いと思われるが、それにしても日本の政治家を生んだ家庭教育の質も問われるべきだと思う。
「三つ子の魂」の話は昔から色々と言われているが、横田小2年の村上れん君の『ごくらく ごくらく』は小さい時から祖父母と一緒に生活している中で、自然や宗教、人間関係などいろいろなことを学ぶことの大切さに触れていると思う。「鉄は熱いうちに打て」「三つ児の魂」など、子どもの教育に大切なものを昔の格言から現代のものとして学び直す必要があると思う。
気仙の歴史には色々な格言や教えが沢山積み重なっているので、これらを現代に生かす作業を始める必要があると思う。