2010/05/15 028



自然の脅威


招かざる津波警報二月尽 (熊谷チヱ)
黙黙と避難の人等着ぶくれて (伊藤律女)
太平洋渡りて津波冴え返る (同)
津波去り流木残る春の浜 (遠藤敬子)
牡蠣筏収穫前のチリ津波 (及川光子)

今回のチリ津波、50年前のチリ津波、その前の昭和の津波と三陸沿岸地方は大きな津波の被害を被ってきました。 「招かざる津波警報二月尽」 「黙々と避難の人等きぶくれて」 津波警報を聞いて身の回りの衣服を着こんで黙々と避難する情景が浮かんできます。
「太平洋渡りて津波冴え返る」 南米のチリからはるばる太平洋を渡って津波が押し寄せて来るという津波警報のニュースを聞いて夜の海を眺めていたら、波が不気味に冴えている情景が伝わってきます。
「津波去り流木残る春の浜」 「牡蠣筏収穫前のチリ津波」 甚大な津波の被害の爪痕が詠まれております。津波の脅威は言い継がれてきましたが、ややもすると忘れてしまいがちです。2010年4月10日の東海文芸 「松風句会(3月)」 の作品から津波を詠んだ作品から気仙地方には津波の脅威が語り継がれていることが伝わってきます。

《脅威と共生》
大灘を真っ向にして野水仙 (鈴木和子)
啓蟄や人等気楽に外出す (遠藤勝博)
手間ひまをかけて育てて苗木市 (及川光子)

人間は自然の脅威に怯えているだけでは生きていけません。自然の大きな脅威に対しても覚悟を決めたり智恵と力を出し合って色々な対策をとってきております。
「大灘を真っ向にして野水仙」 静かに美しく咲く野水仙に自然の厳しさの中で生きる覚悟を感じて詠んでいるものが伝わってきます。蕪村の句 「さみだれや大河を前に家二軒」 が思い浮かんできます。
人間は自然の恵みの中で苗や苗木を育てて採集と育成の生活を創りだしてきており、暖かい春になると外に出て生活を楽しんできました。自然の恵みと脅威との緊張感の中で人間の文化が豊かに育つものと思われます。
2010年4月10日付けのエッセイ 「自然との共生を求めて」 (内藤善久)には、三陸の自然に終の棲家を求めて平成12年から三陸町越喜来に住んでいる内藤氏は、自然の中で過ごす喜びを同世代の友人や仲間にその素晴らしさを語りかけては田舎暮らしを誘っていると述べ、さらには都会に住む自分たちの子や孫たちに夏休みや冬休みにこの地でゆっくりと過ごしながら、身体で自然を学ぶ楽しさを味わってもらいたいとの思いがあると述べている。
リレーエッセイ・五葉山の魅力 「クマとの “遭遇” 」 (菊池年男) では、菊池氏自身が遠野物語遠野で生まれ、人間界と自然界との調和の大切なことを口伝えに聞いて育ってきたが、今もう一度それを全身で受け止めてみたいと思って五葉山などあちこちの山々への旅を続けていると述べている。
その中で菊池氏は 「基本的に私が旅したような 『道路』 上で起こることは、それがどんな山奥であれ 『人間界』 の出来事で、その周りの自然はその 『外側』 にあります。たとえそこでクマと遭ったとしても、それはクマが 『出てきた』 と見なされます。
ところが登山道は 「道」 とはいいながら自然の 「内側」 にあり、人間がその中に入っていくにもかかわらず、私は山の中に一般の道路と同じ人間界の気分をそのまま持ち込んでしまい、自分が山や自然に対して 『ぞんざい』 になっていたような気がします」 と述べながら、人間は気を付けないと知らぬ間に自然の脅威と畏怖を忘れてしまうと伝えている。
2010年4月10日の東海新報 「力仕事に精出し―綾里中シイタケ栽培体験」 では、綾里中学校生たちがシイタケ栽培体験を通して自然との共生を学んでいることが報じられている。
長い歴史を通して、自然の恵みに育まれ、同時に自然の脅威と畏怖の中で自然との共生の文化を築き上げてきた気仙の原点を忘れずに引きつないでいくことが大切であるというものが、ずしーんと腹に響いてくる。