2010/05/20 030



旅立ちと現実


白鳥の旅立ち冬が遠ざかる (佐々木七草)
現実はドラマではない野良仕事 (新沼志保子)
凍土から顔出すいじらしい新芽 (佐々木多美子)
子らの声遠くに去りて任終える (晴山和香子)
2010年4月13日の5面 『高田一柳会(3月)』 と東海文芸・川柳から拾い上げてみた。
巡りくる季節を感じて旅立つ渡り鳥、学び舎を卒業して社会に旅立つ教え子たち、都会から農村に来て農業を始めて経験する農業の難しさ、その畑に凍土から顔を出す新芽を見る喜び、旅への憧れと現実の厳しさ、人生はいろいろなことを経験する。
気仙地方は人口減少に見舞われており、学校の統廃合で対応している。地元に残った子どもたちの教育を地域教育として、学校教員OBはもとより、地域の人々が学校と協力して課内外授業として立ち上げる必要があると思う。
気仙の自然と歴史に根差した地域教育を立ち上げ、広く他の地域との文化交流を進め、これに基づいて経済交流を進めていくことが大切であると思う。

気仙文化の根っこと巡礼

いままでは親とたのみしおえずるを ぬぎておさむる弥陀の浄土に (江戸の巡礼者)
無学でも母にもあった主義主張 (木村自然児) 川柳自選句・昭和56年
骨箱で笑い堪えている賛辞 (同)
佐々木克孝記者の 「祈りの道 気仙三十三観音霊場」 巡礼記の連載も4月17日で終わることになった。
江戸の巡礼者は山の奥深い木立の中にある観音堂に巡礼をしながら仏教である観音様を拝み、その観音堂を包んでいる自然の霊気を感じながら、蝦夷の遠い先祖様への供養を行ってきたと思われるからである。それは大和朝廷蝦夷征討に立ち上がった蝦夷の酋領たちを観音堂の近くに祀っていることにもうかがえる。
これは神仏混淆の宗教と言われているものであるが、蝦夷の神は自然の中にあまねくおわします神々である。いわゆる縄文宗教からの流れをくむものと考えられる。
木村氏が無学であったが母はしっかりとした主義主張を持っていたと詠んでいるのは山の神様、川の神様、海の神様などを敬い、その中で暮らしを立ててきた先祖の伝統的な自然への感謝と敬意を亡き母が持っていたことを偲んでいるからなのだろう。
そして亡き母は限りある寿命をわきまえて自然の悠久の流れに命をつなげている覚悟を持って死を迎えていて、自分を送る賛辞に苦笑していることを詠んでいるとも思う。

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江戸時代に伝統芸能として創られた鹿踊りには、鹿を狩猟してそれを自然の恵みとして受け取って生活を立てていた文化をもう一度見直してみるという狙いから生まれてきたものと思われる。宮沢賢治の文学にもこの考えは生かされている。
縄文時代の人々は文字を持たなかったが、土器という優れた芸術文化を残している。縄文土器の渦巻きの隆文線は天空への、世界への思いと、ギリシャなど地中海文明が発見した黄金比と相通じるものがあるとも考えられる。即ち自然と人間の生命活動との永遠の調和を願った世界を宿していた可能性が考えられるのである。
気仙文化の根っこにはこの思いがあり、この気仙文化の根っこへの巡礼こそ世界の文明に相通じるものであると思う。