2010/08/19 034


2010年7月2日付け東海新報掲載の「高田短歌会6月」の作品から。

四百年の家屋 敷糠塚邸を詠む

四百年経ちし松の枝借りながら楢の若木は命をつなぐ (金野 要)
六千坪の屋敷に構えし糠塚家長屋門飾る巨大木化石 (鈴木六也)
大輪の赤き牡丹がしたたれり五月雨の重みに耐へる枝先 (山本桂子)
まっすぐに天を貫く勢いに竹の子伸びる雨後はことさら (新沼志保子)
天保の飢饉に肝入たる糠塚家倉開き救えし万人施宿塔に残る (鈴木六也)
糠塚邸の丘に登れば東屋に丸太並べて海を見せしむ (星 貞男)

第16回 鷺の会作品展が同日の東海新報に掲載されている。「あのね」(佐々木勝彦、気仙町、F30号)のイメージと「四百年経ちし松の枝借りながら…」を重ね、「賛助作品」(鷺悦太郎、高田町、F30号)を「六千坪の屋敷に構えし糠塚家…」に重ね、「雨上がり」(迎山晃江、日頃市町、F15号)を「大輪の牡丹がしたたれ五月雨の…」に重ねてみた。
さらに、同日5面のわんぱく広場「小休止!」陸前高田市横田町の元気な子どもたちの写真は「まっすぐに天を貫く勢いに…」のイメージに重なって来る。
いみじくも同日8面の「解禁に水入り 夏告げるアユ漁 県内河川トップ切り 気仙川」と「大釣果に期待込め 川の駅で鮎解禁前日祭 横田町」の記事も、これに重ねると面白い。

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一毛作の東北地方の稲作は、冷夏など天候の影響をもろに受けて凶作に見舞われてきた。江戸中期には南部八戸で町に医者として暮らしていた安藤昌益が、自然真営道を出版。農業を中心とした非搾取非差別社会思想を、幕府や藩に目立たぬように草の根の人々に広めた。この思想は、後にマルクスの思想よりも100年も前に創られた思想として世界に注目されたこともある。
大正と昭和の詩人である宮沢賢治は、農民芸術概論綱要の中で「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」「風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」といった自然と農業と芸術の調和した思想を述べている。このような飢饉の歴史はどのように現代社会に受け伝えられているのか、それは「天保の飢饉に肝入たる糠塚家…」に詠まれているように、一本の塔として残されているのだろう。
数千年以上前から海洋を渡って大陸や太平洋の他の地域と行き来してきた気仙地方には、仏教や儒教をはじめ色々な国の文化が伝わっている。それは海を眺めると自然に湧いてくるものである。「糠塚の邸の丘に登れば東屋に…」はこの気仙の海の感慨に響き合っているようだ。