2011/09/04 045


「時空と歴史そして心」

◆詩

”そんな間柄” 平山睦子(あかね詩の会)8月3日

友人は
私みたいに商売気がある
計算含みの笑顔しない
友人は
私みたいに上面の軽々しい
挨拶はしない
ボソッと 突然顔を出し
「たまには何処かドライブに行くか」と
誘ってくれる

日常生活の中の何気ない話し合いのなかで、「心のつながりを生む間柄」、それの大切さが浮かんできます。



◆短歌


”強く生きよう” 盛町 佐藤秀子 8月12日

”真夜中に津波警報ひびくのみ車の中の寒さきびしき”
”生あれば死するは人の常なるにこの災害のあまりにむごき”
”命だけあればよいと口ぐせにあの津波の現実思いば”
”開発が破壊に変わる原子力新聞よみて深くうなづく”

真夜中のB29による空襲の警報や火事の半鐘の記憶が今回の大震災と重なって浮かんできます。

あぢさゐ俳句(7月) 8月12日
大和田光子
”夏の風命別々食ふ小昼”
”草の中玉葱キューと引きにけり”

黄川田冨子
”重機音止みてひぐらし怨嗟かな”
”梅の実も木もまぼろしに瓦礫畑”

舟野 広
”災天の瓦礫木の声石の声”
”夏燕空を仰げばいつも飛ぶ”

戦中戦後に山小屋での開墾生活と現代の若者の個人主義と老い人たちの生活が今回の大震災の瓦礫の山と重なって浮かんできます。

◆川柳

大東町 家なき子 8月12日

”風見鶏今度はいらぬ議員さん”
”海風の届かぬ仮説ハエたたき”

水増し、お手盛り行政と議員達への批判ですね、家なき子さん。

みさご句会(8月)
及川富子
”瀬戸際の歩みのひとつ終戦日”
”腰打ちて畳這ひゆく夜の秋”

敗戦と終戦の命すれすれの若き日の記憶と今回の大震災の老いの秋が重なって伝わってきます。

佐々木峯子
”立ちどまり掛ける一声秋高し”
”秋の蠅に遊ばれてゐる老二人”

鈴木八重子
”洗ひ物干す竿思し夜の秋”

田代光子
”仮設てふ住居さまざま盆供養”

”天高く馬こゆる秋”、”秋深し隣は何をする人ぞ”、震災後の秋の思いはいろいろです。

大地震、大津波、そして原発事故に見舞われた東日本大震災、まさに天災は忘れたころに起きる。
この一瞬の大自然の破壊力を持った蠢きへの備えを忘れていた。
科学技術の総力を挙げればどこまでこれら災害に対応できるのか?
これは気仙、東北地方を越え日本、そして地球規模で考えるべき課題である。
東日本大震災の後に掘り起こされた情報の中に、これら大震災は過去六千年の間に千年に一度くらいの
割合で発生していたという。
そして地球全体に潜んでいるこの地殻変動エネルギーは活発になっているのではないかと考えられている。
二十一世紀文明は物質と生命と心の関係を明らかにすることを目指さなければならない。
一万年以上の歴史を持つ縄文文化が地域文化の奥底に潜んでいる、大震災で揺り動かされた気仙から、
縄文の秘かな心を現代に蘇生させること、これは既に宮沢賢治の農民芸術概論綱要に述べられている。

詩 ”そんな間柄” 平山睦子(あかね詩の会)8月3日
短歌 ”強く生きよう” 盛町 佐藤秀子 8月12日  あぢさゐ俳句(7月) 8月12日 大和田光子、黄川田冨子
川柳 大東町 家なき子 8月12日
みさご句会(8月)及川富子 佐々木峯子 鈴木八重子 田代光子 舟野 広、
これらの作品から「時空と歴史そして心」につながるものを拾い上げて見た。

8月31日に東京大学で開催された長い歴史と世界の高い評価を持つ英国の医学ジャーナルLancetと
米国ハーバード大学、英国のケンブリッジ大学、台湾、バングラデッシュ、の学者たちが参加したセミナーに
出席した。東日本大震災も話題になった。
海外の人々は日本の震災対応の中で草の根の人々の秩序ある態度に関していた。
珈琲ブレークに知り合いの海外の学者たちに「縄文から引き継いで来た東北の草の根の人々の心」に関して
話をした。彼らは是非、気仙を訪ねたいと言っていた。