明治・昭和の津波伝える、末崎町の標石を現地調査/大船渡市立博物館 (別写真あり)

▲ 明治、昭和の大津波襲来を伝える標石の現状調査を行う市立博物館スタッフら=大船渡市末崎町

 大船渡市立博物館(佐藤悦郎館長)は20日、明治29年10月と昭和8年3月の三陸地震津波襲来地点を後世に伝えるべく、末崎町内に建てられた標石の現状調査を行った。昭和8年の津波以降、28カ所に設けられたとされ、このうち10カ所で倒壊や流失を確認。繰り返しやってくる大津波とその教訓を語り継ぐため、標石にまつわる展示を計画しており、保存のあり方なども探っていく考えだ。

 

 「海嘯襲来地点」の現状確認

 

 この標石は、昭和8年の三陸地震津波後、朝日新聞社の義援金をもとに当時の末崎村が翌9年ごろ建てたとされ、同年または明治29年の津波の到達点をいまに伝える。粘板岩でつくられており、それぞれ高さ1㍍ほど、幅30㌢ほど、厚さ10㌢ほどで、明治か昭和の年月と「海嘯襲来地点」の文字が刻まれている。
 三陸沿岸で標石を残した例は珍しいといい、同館では平成20年、特別展「荒れ狂う海・津波の記憶」の開催に向けて現状調査を実施。この際は20カ所が残っていることを確認した。
 今回は、東日本大震災津波後の標石の状況を調べようと行ったもので、佐藤館長と白土豊学芸員、平成20年当時、同館主事として調査に携わった古澤祐さん(現・市民環境課主任)が参加。前回確認していた20カ所すべてを回った。
 その結果、10カ所では補強が施されたものもあって大きな被害はなく残っていたが、8カ所で倒壊を確認。これらは標石の大きさや倒れている向きなどを計測し、改めて記録をとった。2カ所はなくなっており、同館では津波により流失した可能性が高いとみている。
 倒壊した中には、もとの場所の近くに戻されたものがあったほか、周囲の雑草に隠れてしまっているものもあり、見えやすいように草をよけるなどした。
 佐藤館長は「建立から80年を経ているが思っていた以上に残っており、住民が大事にしてきたことも伝わってきた」と今回の調査を振り返る。
 同館では今後も調査を続けながら来年2月ごろには標石にかかる展示も行いたい考え。同館長は「標石は東日本大震災も含め津波の教訓を伝えてくれる。これからどうやって残していくか、地元の方々と考えていければ」と話している。