次は自分が与える番
令和7年3月20日付
中学2年生だった14年前の自分は、未曾有の大災害を目の当たりにしてどんなことを思っていただろうか。恐怖とか、避難生活が続く不安よりも、津波が押し寄せめちゃくちゃになった自宅を見て、自然の脅威を思い知らされたのではないか。記憶はあいまいだが、そんな思いが頭の中を駆け巡った。
大船渡市で発生した大規模林野火災は、日を重ねるごとに被害が広がっているのが目に見えて分かり、高台の社屋から対岸を眺めるたびに、じわじわと精神を削られる感覚に襲われた。「早く収まってほしい」と祈ることしかできなかった。
サイレンを響かせながら火災現場へと向かう消防車両を何度も目にした。空中から消火活動を行う自衛隊のヘリも毎日見た。取材に訪れた避難所では、支援物資の運び込みにあたる職員や、避難した住民のケアにあたる支援団体、高校生など若い世代のボランティアの姿もあった。
「多くの人が大船渡のために頑張ってくれている」。こうした様子に触れるたびに、慌ただしさを抱えていた心が少し休まる感じがした。自然と感謝の念が湧いた。
きっと、東日本大震災の時も同じように多くの人たちが支援に訪れ、自分たちを助けてくれたのだろう。あの時は分からなかったことが、14年の歳月を経て新聞記者として働く今、やっと分かった気がする。
震災直後に始まった中学校生活最後の1年間、津波が襲来し、がれきが残る地域の清掃活動や、校庭に建った仮設住宅の住民との交流など、学校としてさまざまなボランティア活動をした。家も住む地域も変わったが、支援のおかげで生活をおくることができた。
今年の3月11日は、綾里の火災現場で黙とうをささげた。「地域のために」という思いは、中学生だったあの頃から変わっていない。14年前から抱えきれないほど受け取ってきた多くの支援や思いを、今度は自分が、誰かに与える番だ。(菅)