令和7年06月15日付

 東日本大震災があるまで、「津波」と言えば昭和35年のチリ地震津波を指していた、という人は多かろう▼14年前の3月11日、もし私が自宅にいたら確実に逃げ遅れていたはずだ。チリ地震を経験した家族に子ども時代から繰り返し、「津波が来たら屋上へ上がればいい。あの時は2階までしか来なかったし大丈夫」と教えられ、うのみにしていたからだ▼同様に「チリ津波ではここまで来なかった」という記憶があだとなり、避難せず命を落とした人がどれだけいたか▼〝前回はこうだったから〟―そう言って三陸では津波のたびに同じ失敗が繰り返されてきた▼それを知ったのは、再建された陸前高田市立博物館の、過去の津波にまつわる展示からだ▼明治三陸地震津波では震度2、3の地震で津波が来た。そのために「地震が強いと逆に津波は来ない」という誤った認識が生まれ、揺れの激しかった昭和三陸地震津波で被害が出た▼しかし今度は「地震があったら津波の用心」という教訓が、日本では揺れがなかったチリ地震での避難を遅らせた▼直近の経験則だけでは判断を誤る。津波のメカニズムがいかに多様で、異なる教訓が存在するのかを知り、かつ伝える必要があるということを、明治三陸地震津波発生から129年を迎えたきょう改めて胸に刻みたい。〝津波常襲地〟である三陸に生きる一人として。