令和4年05月29日付

 24日の午前、私は宮古市田老の旧防潮堤の上に立っていた▼東日本大震災当時の状況や、まちの防災対策などをガイドしてもらう「学ぶ防災」を利用し、訪れたのだ▼田老の旧防潮堤が、その長さ、規模の大きさから〝万里の長城〟と呼ばれていたことは有名である▼しかし、昭和の時代には田老がすでに「多重防災のまちづくり」を実践していたとは、寡聞にして知らなかった▼町を碁盤の目のように整然と造り替えて、川沿いや海沿いから山側へまっすぐ延びる幾筋もの道を整え、歩行者用の避難路・避難階段を無数に設置し…▼それでも、11年前の震災では181人が犠牲となった▼学ぶ防災のクライマックスは、震災遺構・たろう観光ホテルでガイド利用者だけが見られる津波襲来の映像だ▼防潮堤が第1波を何分もせき止めている。一方、海が見えないせいか第2波襲来間際で家へ戻る人が映っており、思わず目をつぶった▼「避難が第一。防潮堤はそれまでの時間稼ぎ。ハードに頼り過ぎるな」という大原則を、何より雄弁に語る映像だった▼二重、三重に対策が巡らされていても、最終的に命を守る確実な手段は避難しかないのだと、田老の犠牲者の数が伝える▼くしくも同日は、昭和35年のチリ地震津波発生から丸62年を迎えた日。「忘れるな」…と、誰かに耳元でささやかれたような気持ちになった。