令和7年07月01日付
出征する兵士を激励するため、満州事変を機に大阪の主婦の間で始まった国防婦人会について、NHKが特集していた▼慰問袋を作り、兵士を見送り、戦死者の家を訪れて英霊とたたえ…一方で「非国民」などと言って枠から外れた者をののしり、弾圧する―現代のドラマや映画では憎まれ役として描かれる集団だ▼しかし太平洋戦時下では多くの女性が活動にのめりこみ、会員は瞬く間に1000万人にも達した。なぜか▼一つは、家父長制の下、婚家で窮屈な暮らしを強いられる主婦たちが、「銃後を守る」という大義名分で堂々と外出できる―女性の社会参画がかなう唯一の手段だったからだ▼軍部も活動を奨励した。戦争で夫が傷つき子がやせ細っていくと、戦争反対の機運が高まる。その口を「陛下のため。お国のため」と言って婦人会に封じさせる。戦争への不満を抑える役割を担わせたのだ▼参政権もなく、家庭では一段下に見られ、抑圧されてきた女性たちが、ある種の権力を与えられ「男性と肩を並べて活動できる・男性に感謝される」ともてはやされて狂い、わが子さえ万歳三唱で戦地に送り込んだ―▼息子が死に、何もかも失ったあと〝私は自ら進んで戦争に、人殺しに加担した〟と後悔する…婦人会だった女性とその娘たちの証言に、戦争の被害と加害が表裏一体であることの悲しさを思った。