住田町の五葉山自然倶楽部と大船渡市三陸町の澤田さん夫妻が受賞/第41回東海社会文化賞

地域に寄り添い、支える 2月6日に大船渡で顕彰式

 

 福祉や文化、教育、産業といった地域社会の各分野で地道な活動を続ける人々を顕彰する第41回東海社会文化賞(東海社会文化事業基金主催)の受賞者が決定した。今回は、五葉山を愛し、その魅力を感じながら交流を育み、自然を守る活動を続ける住田町の五葉山自然倶楽部と、三陸鉄道甫嶺駅の清掃奉仕などを通じて地域の鉄路を応援する大船渡市三陸町越喜来の澤田長之進さん(87)、タマ子さん(87)夫妻が受賞。いずれも地域に寄り添い、支える活動を続けてきた。受賞者数は今回で72個人44団体。顕彰式は2月6日(土)午後0時30分から大船渡温泉で開かれる。

 

山が結ぶ人との輪/五葉山自然倶楽部(住田町)

 

「楽しみながら」後世へ

 

五葉山を介した各種活動を通じて人と人とのかかわりや自然の大切さを伝える(写真は平成24年の五葉山散策の様子)

五葉山を介した各種活動を通じて人と人とのかかわりや自然の大切さを伝える(写真は平成24年の五葉山散策の様子)

 住田町、大船渡市、釜石市にまたがる、沿岸部最高峰の山、五葉山(標高1351㍍)。五葉山自然倶楽部は平成10年2月、同山や五葉山麓に愛着を持ち、その魅力を共有しようと創設された。
 現在の会員数は、86人。気仙3市町をはじめ、関東圏在住者もいる。「親しみながら 楽しみながら」を合言葉に、五葉山や五葉山麓、愛染山の自然の豊かさをいつまでも後世へ残せるよう、その素晴らしさや大切さを伝える多彩な活動に取り組んでいる。
 倶楽部内には、森林散策や森林浴を運営する「緑想会」、登山を楽しむ「黒岩会」、五葉山にまつわる歴史、文化の調査活動、写真展などの開催を担う「森の文化塾」の3グループがある。
 五葉山や山麓での登山、散策会はもちろん、東北各地の山々に赴くバスの旅も企画。バスの旅は、ほかの山や環境を守る人々の活動に理解を深め、五葉山の魅力、自然の大切さを改めて感じてもらおうと位置づけている。
 住田町側から五葉山に登る際に用いる、黒岩コース登山道の現況踏査や整備にも尽力。登山道の環境向上を目指している。
 五葉山美術展や写真展では、多くの人々に山と自然の魅力をアピール。昨年初開催した「五葉山─昭和の記憶写真展」では、昭和時代の五葉山と人々の姿を写した作品を展示。これまでの生活や人と自然とのかかわりを見直し、新たな気づきを得てもらいたいとの願いを込めた。
 20年からは、東海新報紙上に「五葉山の魅力」リレーエッセイや「『五葉山』からの贈り物」などの連載も展開。23年には「五葉山の魅力」を一冊にまとめた本『それぞれの生きるかたち』を上梓した。
 書き手は、総勢100人余りに上る。一人ひとりがさまざまな立場から地域の象徴である五葉山を介し、自らの思いや考えを文章に残す場となった。
 これまで、多くの人々が五葉山とかかわり、自らと向き合う機会を提供。菊池賢一代表(66)は「いろんな人たちのサポート、協力によって五葉山にかかわることができた。自然をみんなに見てもらえて、良かったと思う」と感謝する。
 今後は、「自然保護の点から見ても、若い力が必要。親しみながら、楽しみながら、興味がある人には参加をしてほしい。さまざまな活動に取り組みながら、次の世代へとつなげていきたい」と意欲。「自然や山の魅力を認識し、五葉山がこういう山だと感じ取ってもらえるよう運営を続けていきたい」と気持ちを新たにする。
 来月には、創設から18年。五葉山が結ぶ人と人の輪は、これからも広がっていく。

 

三陸鉄道を応援/澤田長之進・タマ子夫妻(大船渡市)

 

甫嶺駅の清掃奉仕10年

 

ホームで運転士と笑顔で会話を交わす長之進さん∑・タマ子さん∠夫妻=三陸鉄道南リアス線甫嶺駅

ホームで運転士と笑顔で会話を交わす長之進さん㊥・タマ子さん㊨夫妻=三陸鉄道南リアス線甫嶺駅

 「三鉄は宝だから」。
 そう笑顔で語る大船渡市三陸町越喜来下甫嶺の澤田タマ子さん。平成22年10月まで10年間、三陸鉄道甫嶺駅での清掃奉仕を休むことなく続けた。
 きっかけは12年、市からの委託で駅のトイレ清掃業務を引き受けたこと。「どうせなら気持ちよく利用してもらいたい」と、任されたトイレだけでなく、駅の駐車場や花壇、駅舎、ホームの掃除を自主的に行うようになった。
 海岸そばにある自宅から駅までは数十㍍。半農半漁家のタマ子さんには早朝から農作業や浜での仕事が控えていたが、まずは駅に直行。毎日午前3時ごろには起床し、雨の日も風の日も通った。
 休みのない活動だったが、「あまり大変だと感じたことはなかった」と言い切るタマ子さん。花壇のサクラの成長を見守ったり、越喜来湾からの日の出を見ようと駅舎に寝泊まりしていた大学生と顔見知りになるなどさまざまなことがあった。「自分なりに楽しんでいた」とほほ笑む。
 定置網漁の大謀として県外に出稼ぎに出ていた長之進さんも退職後はタマ子さんをサポート。鉄製で重く、開閉も一手間だった駅舎の扉にさび止めの潤滑油を塗ったり、線路のり面の石垣の草刈りに当たった。駅舎内にある本棚には、埼玉県の長女夫婦から郵送してもらった小説や雑誌を閲覧用として並べた。
 10年を区切りに駅清掃を〝引退〟。継続的な活動がたたえられ、2人には清掃の委託期間を終えた22年11月、三鉄から感謝状と優待乗車証が贈られた。
 その4カ月後、東日本大震災が発生。ちょうど自宅にいた澤田さん夫妻はすぐに近くの高台に避難した。「家はもうだめだろう」。自宅の被災は免れないと覚悟を決めていたが、予想とは裏腹に、津波は庭先まで押し寄せるにとどまった。
 長之進さんは「三鉄が堤防の役割を果たし、家を守ってくれた。感謝しかない」と語る。三鉄の運行再開を信じ、がれき撤去後には誰から言われるわけでもなく、2人で駅の掃除を行った。
 震災から2年後の春、三鉄南リアス線は盛─吉浜間で復旧。再び列車が走る姿を見て、2人は「心から感動した」と喜んだ。
 翌年春には南リアス線全線で運行を再開。釜石市の病院に通ったり、旧大船渡市内に買い物に出たりと現在も週に2、3回は三鉄を利用している。運転士をはじめ、三鉄社員とは「家族のように仲がいい」と話す。
 市街地までの移動にも時間を要し不便だった生活を、劇的に便利にしてくれた三鉄。澤田さん夫妻は「三鉄は地域になくてはならない大事なもの。これからも応援し続けます」と誓う。