検証/JR大船渡線  BRT本復旧の行方──1部・5年目の決断①

▲ 国土交通省での首長会議に出席した(左から)戸田大船渡市長、戸羽陸前高田市長、菅原茂気仙沼市長=東京都、12月25日

次善の策ではいけない

「復興の足」前向きな希望は

 

 気仙を走る鉄路なきJR大船渡線は、今後も住民の安心や希望を乗せ続けることができるか。先月、気仙の復興まちづくりを考えるうえで重要な大船渡線の復旧議論が、BRT(バス高速輸送システム)で決着した。復旧・復興の各種ハード整備の槌音が響き渡る中、東日本大震災から5度目の冬にまとまった結論。しかし、これは議論の終わりではなく、持続可能な公共交通を真剣に考えていくためのスタートラインにすぎない。これまでの議論から浮かび上がる課題を見つめ、将来のあり方を考えたい。

(1部は5回続き)

 

 平成28年が明け、多くの企業や官公庁で仕事始めを迎えた4日。陸前高田市高田町のキャピタルホテル1000では、各界の関係者約200人がつどい、新年交賀会が開かれた。

 冒頭を飾るあいさつは、毎年主催11団体による持ち回りとなっている。今年登壇した市コミュニティ推進協議会連合会長の村上誠治氏(76)は、昨年における住宅再建策をはじめとした各種復旧・復興事業の着実な歩みにふれたうえで「私が残念に思っていることがある」と述べ、大船渡線を話題に上げた。

 「鉄路での完全復旧に向け、私の地元である矢作の皆さんとともに、いろいろと活動をしてきた。鉄道のない市になってしまう。幼いころから鉄道の響きを聞いて生きてきた私たちの世代にとっては、こんなにさみしい、悲しいことはない」──。

 震災以降、気仙沼―盛駅間はBRTでの仮復旧運行が続く。しかし矢作町には、震災時に市内の駅で唯一浸水被害を免れた陸前矢作駅舎がある。

 鉄路時は気仙沼駅まで上鹿折駅、鹿折唐桑駅を挟む2駅の距離だった。現在のBRT運行では高田町や気仙町を経由するルートとなっている。

 陸前矢作駅周辺には今もレールが残り、すぐにでも列車が戻ってきそうな佇まいが広がる。多くの住民はこれまで、被災規模が小さい気仙沼─陸前矢作間の先行鉄路復旧を求めてきた。

 JR東日本は昨年7月、東京都・国土交通省での大船渡線沿線自治体首長会議の場で、乗客数の減少傾向などを挙げて鉄道維持は難しいとし、BRTによる復旧を正式提案。その後、気仙両市では行政と住民が意見を交わす場が設けられた。

 住民の声は、一部区間を含めた鉄路復旧を望む声だけでなかった。仮復旧として運行されているBRTが望ましいとする意見。さらに、本来ならば鉄路復旧が望ましいが「次善の策」「致し方ない」として、BRTでの運行を容認する発言も多かった。

 BRT本復旧の結論に至った12月25日の首長会議は、座長を務める山本順三国土交通副大臣による冒頭あいさつを除き、非公開で行われた。終了後、各首長や山本副大臣、JR東日本の深澤祐二副社長が個別に記者団の質問に応じたが、希望に満ちたBRT運行という空気ばかりではなかった。発した言葉には、苦渋の決断であることもにじませた。

 「市としては、懇談会や市民からの意見、議会からの提言はいずれもBRT受け入れで、利便性向上策に努めるという方針だった。結果的には自分たちの思う方向で結論が出され、ひと安心。一方で、鉄路を望む市民意見もある。残念ではあるが、BRT受け入れはやむを得ないと考える」(戸田公明大船渡市長)

 「鉄路で、という意見もかなりあり、これまで市としての結論は一本化してこなかった。会議では市民の声をそのまま伝えたが、議論の中で鉄路の可能性は『ありません』とのことだった。ないものを議論しても仕方ない。利便を高めるための議論を進め、前向きに考えなければ」(戸羽太陸前高田市長)

 BRTはこれからも「次善の策」「苦渋の決断」でいいのか。気仙に住む人々が快適に過ごし、交流人口増につながる新たな公共交通機関という思いが共有できなければ、未来はない。

 今後はルート設定や駅設置をはじめとした目に見える形での復興が欠かせない。それとともに、人々の心に気仙の復興のために生まれた輸送手段という認識をどう広げるか。JRや沿線各自治体が向き合わなければならない今後の課題となる。

 陸前高田市の新年交賀会。村上氏のあいさつ後、出席者全員で輝かしい未来を願いながら乾杯を行い、祝宴に入った。村上氏は「私は今でも鉄路復旧派」としながらも、こう語った。

 「ダメならダメで、次世代に生きる人たちが、あの時こうしてもらって良かったと思えるような方策をとってもらわなければ」──。