検証/JR大船渡線 BRT本復旧の行方──1部・5年目の決断②

▲ 大津波により浸水した大船渡線のレール=23年3月11日、大船渡町

変わり続けた論点

会議での提示 地元に唐突感も

 

 平成23年3月11日に襲った東日本大震災では、43・7㌔の気仙沼盛駅間のうち20㌔以上で浸水被害に遭い、線路流出は15㌔にも及んだ。とくに、陸前矢作駅の盛方向約1㌔付近から高田町、米崎町内をはさんだ小友町只出付近までと、細浦駅周辺の両方向約1㌔、下船渡大船渡盛駅間で被害が目立った。

 将来に向けた復興・復旧は、どうすべきか。大船渡、陸前高田をはじめ、駅舎は地域のまちづくりやにぎわい拠点となる。どのルートを走行するかは、沿線の土地利用に大きな影響を及ぼす。

 BRT本復旧の結論がまとまったのは、震災5度目の冬、271225日。振り返れば、沿線自治体や関係機関がそろい、地域の新たなまちづくりと調和した鉄道復旧を目指す会議は、発災4カ月後には設けられていた。以降4年半、調整が続いたことになる。

 23年7月19日、国土交通省東北運輸局が主催し、一関市で初の大船渡線に関する復興調整会議が開かれた。当時、被災地ではがれきの撤去作業を展開。気仙両市では、鉄道のあり方はもちろん、各種事業の根幹となる復興計画もまとまっていなかった。

 JRは「運行再開時期は、白紙」との見解を示した。一方で各市町のまちづくり方針をふまえ、新たなルートや駅の配置を検討する用意があるとの姿勢も掲げた。

 同年11月、第2回の復興調整会議で、JR側は避難路整備など乗客の安全性確保を条件に、浸水想定域での線路敷設の可能性を示唆。一方、復旧整備に長期間を要する見通しも浮かび上がった。

 第3回会議は24年5月に開かれ、代替輸送充実を目指した首長レベルでの「交通確保会議」を新たに設ける方針を確認。さっそく、7月の第1回同会議でJR側は、仮復旧策としてBRTを提案する。10月には自治体合意に至り、翌年3月から運行が始まった。

 仮復旧までの流れには、スピード感があった。しかし、鉄路復旧の行方は、見通せない状況が続く。2411月に開かれた第4回復興調整会議の〝成果〟は、市街地におけるかさ上げ整備との連動など、各市町が抱える復旧に向けた課題の認識共有にとどまった。

 半年前後のペースで設けられてきた復興調整会議だったが、第5回の開催は10カ月後の25年9月。JRは現状復旧に加え「選択肢の一つ」として、陸前高田市の米崎、小友両地区を中心とする7~8㌔の鉄路高台移転を提示した。

 しかし5カ月後、26年2月の第6回会議。JRは、高台移設のみを強調した。高台での復旧概算工事費を400億円とし、現状ルートでの復旧費用130億円を差し引いた270億円については、国や自治体からの支援を求めた。会議に臨んだ行政関係者の一人は「選択肢の一つのはずが」と、唐突さに戸惑いを隠さなかった。

 それ以降、調整会議は開かれていない。首長やJR幹部らによる〝トップレベル〟での首長会議まで、1年4カ月空いた。昨年6月、第1回首長会議でJRは、仮復旧運行のBRT実績に加え、震災前から減少傾向が続いていた乗客数を掲げ「鉄道の特性を発揮できる水準とは言い難い」と指摘。直接的なBRT提案は次回に持ち越したが、鉄路復旧自体の厳しさを突きつけた。

 BRT本格復旧をJRが提案した昨年7月の第2回首長会議以降、気仙両市では住民らと行政による協議が続いた。しかし、そこにJR関係者の姿はなく、首長会議で配られた資料以上の詳しい説明には至らず、歯がゆさを覚える住民や議員は少なくなかった。

 高台ルートでの鉄路復旧を400億円と算定した細かい内訳はどうなっているのか。なぜ被災規模が小さい陸前矢作駅まで、または高台ルートと復旧ルートで線路位置がほぼ変わらない陸前高田駅までの部分的な鉄路復旧はできないのか──

 利用客である住民は、さまざまな疑問を抱いた。だが、気仙において、JR側に住民が直接問いかけ、回答を聞く機会は生まれなかった。行政側が「~のようだ」「~ということだった」と、代弁役に回った。

 先月28日、陸前高田市議会は会派代表者会議を開き、この場で25日に開かれた第3回首長会議での結論について説明があった。これまで鉄路復旧を求め続けてきた出席議員の一人は、終了後こうつぶやいた。

 「結局、最後までJR主導だったな」──

 今後、JRは自治体や関係機関ごとに、BRTによる利便性向上策の議論に入る。そこで、誰もが〝オープンな議論〟を実感できるか。地域の足としてBRTが運行していくためには、行政、JR、住民による思いの共有が欠かせない。