五本松の巨石を後世に、3Dデータ・レプリカ完成/陸前高田(別写真あり)

▲ 3Dデータなどの展示会場前で行われたレプリカ贈呈=高田町

 陸前高田市高田町のかさ上げ対象区域内にある五本松巨石群のレプリカ贈呈式は29日、同町の市コミュニティホールで行われた。後世に歴史を伝え残したいと地域住民が模索していた中、市出身者が務める盛岡市の企業が3Dデータを作成し、それをもとに岩手大学の学内カンパニー・エムキューブがレプリカを完成させた。展示会は31日(日)まで、同ホールのエントランスホールで開かれる。

かさ上げ対象地となっている五本松=同

かさ上げ対象地となっている五本松=同

 

あすまで展示、森の前住民の願い実る

 

 贈呈式は前高田地区コミュニティ推進協議会長の熊谷七五三男(しめお)氏と、陸前高田花菜畑の会代表の佐藤新三郎氏による「森の前五本松有志会世話役」が企画。震災前森の前に住んでいた住民や岩手大学の関係者ら約20人が集まった。

 エムキューブ代表の佐々木将希社長(24)は、住民の一人である高橋壯介さん(79)にレプリカを手渡し。立ち会った戸羽太市長は「地域そのものが流された中、ぽつんと残っていたのが五本松。かさ上げ後も、しっかりと語り継ぎたい」とあいさつした。

 震災前、森の前地区内にある巨石には村上道慶碑とマツが並んでいた。道慶翁は元和元年(1615)の57歳の時、高田村に寺子屋「西光庵」を開き、子弟の教育にあたった。

 道慶翁は86歳の時に川の瀬に立ち、自らが犠牲となって紛争が絶えなかった高田、今泉両村民が仲良くサケ漁をするよう諭した。碑があった五本松は郷土の歴史を伝えるだけでなく、震災前は子どもたちが駆け回り、住民たちの憩いの場として愛された。

 しかし、区画整理事業の盛り土に伴い、今後巨石は目にすることができなくなる。移設は不可能と知りつつ、地域住民はせめて巨石群の採寸ができないか模索していた。

 これを知った神奈川県平塚氏出身のボランティア・佐藤睦志(ちかし)さんを通じて、盛岡市に構える考古遺物の形状計測などを手がける㈱ラングで常務を務める米崎町出身の千葉史(ふみと)氏が協力。600枚を超える写真から立体的に描かれた3Dデータをまとめた。

 そのデータをもとに、学生5人によるエムキューブが3Dプリンターなどを使ってレプリカを制作。大きさは100分の1で、縦16㌢、横20㌢、高さ2㌢の樹脂による作品が完成した。

 自らも五本松の模型を制作していた高橋さんは「目にすれば思い出すことができる」と笑顔。佐々木社長は「レプリカによって若い人たちに地域の歴史が伝わっていけばうれしい」と話していた。

 レプリカや3Dデータは30、31の両日にエントランスホールで公開。震災前の写真や歴史を伝える資料なども並べる。時間は午前9時から午後9時まで。