「青い目の人形」に礼状、高田尋常高等小生が書き送る、米国の図書館に保存(別写真あり)

▲ 高田尋常高等小に贈られた「青い目の人形」を撮ったと思われる写真。スカートをはいた中央の人形のほか、金髪とおぼしき人形がもう1体確認できる(高田小学校蔵)

 1927(昭和2)年、アメリカでの排日感情を根底とした日米間の緊張を緩和するため、米国人宣教師らが中心となって日本各地へ贈った「青い目の人形」。気仙地区では陸前高田市立気仙小学校蔵の1体が現存するのみだが、この人形が現在の高田小学校にもあったことが証明された。本県からの答礼人形を所蔵するアラバマ州のバーミングハム公立図書館に同校生徒の礼状が保管されており、19日に同館スタッフが手紙のコピーを高田小へ届けた。

 

日米親善の証しに新証言

 

 米国から日本へ送られた青い目の人形(アメリカ人形)は計1万2739体。1体ずつ名前をつけ、手作りの服を着せ、本物そっくりのパスポートも携え極東へとやってきた。これに対し日本からは、当時の1道3府43県と6大都市、外地の樺太、台湾、朝鮮、関東州、皇室御下賜の1体を加えた58体の市松人形を答礼として送っている。

 このうちバーミングハム公立図書館蔵の「ミス岩手(岩手鈴子)」は、このほど88年ぶりに里帰りし、3月6日(日)まで県立博物館に展示中だ。今月5日までは気仙小所蔵の人形「スマダニエル・ヘンドレン」も一緒に並び一般公開されていた。

 太平洋戦争突入とともに、軍部から焼却命令が出されたアメリカ人形。スマダニエルはひそかに隠され、東日本大震災時に被災しながらも残ったが、証言や記録などから存在だけは分かっていた、長部小、広田小、米崎小、高田小分の4体は現物がなかった。

 しかし今回、同公立図書館「芸術・文化・スポーツ部」部長の宮川治代さん(61)が来市するにあたり、当時の高田尋常高等小学校の生徒が書いた礼状のコピーを持参。この日は同市立博物館の本多文人館長(77)と宮川さんが来校し、記念として高田小の木下邦男校長へ手渡した。

バーミングハム公立図書館の宮川さん㊨と博物館の本多館長が高田小を訪問

バーミングハム公立図書館の宮川さん㊨と博物館の本多館長が高田小を訪問

 2人は礼状が高等科2年(現在の中学2年生)の女生徒によるものであることを木下校長に説明。毛筆による手紙は「私たちの御友達アメリカのお嬢さん方へ」で始まり、広い海を渡ってきたプレゼントに対する感謝、答礼人形の岩手鈴子をかわいがってほしいというお願いなどが、のびのびした文体でつづられる。

 金髪碧眼のかわいい人形を喜ぶ少女らしさと共に、「遠く離れては居りますけれども御互に良く信じあって今までより尚一層親しくしませう」「御体を大切に そして百千代かけての御親交を御祈りします」と、親善を願う〝大使〟としての優しい心根も伝わってくる。

 宮川さんは「岩手鈴子とアメリカから贈られた人形は、互いに友情の懸け橋となっている。岩手を代表する宝物が今も向こうで大事にされていることを知っていただき、皆さんのなぐさめとなれば」と語った。

 校長は同校に保管される「青い目の人形を写した」と思われる写真を宮川さんらに見せた。また、校長室には当時の尋常高等小を描いた絵が掲げられており、宮川さんたちは手紙が送られたおよそ88年前に思いをはせた。

 本多館長は「人形がやって来た時、米崎では村をあげての〝歓迎会〟が開かれたと記録に残っている。贈られたのは単なる人形ではないのだという気持ちが、当時の人たちにあったのだろう。そのことがこの手紙からも分かる」と話し、人形に関する貴重な〝証言〟が得られたことを重ねて喜んだ。