調査の記録尊い財産に 気仙大工を40年研究 今泉地区も熱心に、高橋教授(東北工業大)が退官

▲ 長年気仙大工や今泉地区の研究に意を注いできた高橋教授=仙台市

 40年以上にわたり気仙大工発祥の地・陸前高田で研究を重ねた東北工業大学工学部建築学科=宮城県仙台市=の高橋恒夫客員教授(67)は、定年に伴い3月末で退官する。これまで、歴史的建造物が多く残る今泉地区内を一軒ずつ回り、間取りなどを調査。同地区は5年前の東日本大震災で壊滅的な被害を受けたが、残っていた記録は住民らにとって貴重な資料となった。今後も大肝入屋敷・吉田家住宅再建をはじめ、気仙にかかわり続けることにしている。

 高橋氏は昭和46年に同大学建築学科を卒業。いったん建設会社に就職し、翌年には助手として大学に戻った。53年から講師となり、平成2~6年に助教授、7~26年には教授を務め、一貫して母校に籍を置き続けた。

 宮城県大崎市出身で、以前から「気仙大工」という言葉は耳にしていた。しかし、文献は皆無に近い状態。大工職人をはじめ「つくり手」に興味があった高橋氏は、助手時代から陸前高田への訪問を重ね、未開拓分野の調査を続ける中で引き込まれていった。

 文献が少ない背景について「気仙大工をはじめ出稼ぎの大工集団は江戸時代以降、歴史の表舞台よりも庶民側の需要に支えられた」とみる。そのうえで「大工技術の普及や近代化、災害復興に大きな役割を果たしてきた」と、建築史における重要性も強調する。

 藩政期を通じて気仙郡政の中心であり続け、昭和から平成にかけても仙台藩唯一の本格的な大肝入屋敷が残っていた今泉地区。南北の街道には直角の屈折が複数あり、町場と足軽の屋敷、寺社などが計画的に配備されたまちなみにも強い関心を抱いた。

 平成5年、陸前高田市は国から「地域住宅計画(HOPE計画)」の指定を受けた。この一環で調査を受託した高橋氏らは、7年から8年にかけて一軒ずつ回った。

 5年前、想像もしなかった規模の大津波が今泉を襲った。発災1カ月後に現地に入った高橋氏は、変わり果てた光景に愕然とした。しばらくして、自らの研究室で当時調査したファイルを見つけた。

 そこに残っていたのは、震災で失われた各住宅の間取りや写真。享和2年(1802年)に建築された吉田家住宅の棟梁を務めた地元の気仙大工・七五郎が残した絵図面記録もあった。

 こうした資料をもとに、昨年「よみがえる今泉集落」を発刊。かつてのまちなみや自宅の写真が収録されていると聞いた住民らが直接高橋氏を訪ね、涙を流して感謝を寄せたこともあった。

 今泉地区は大規模な土地区画整理事業が進み、被災低地部では本格的なかさ上げ整備を控える。「かさ上げした土地でも、気仙大工の技能を感じられるまちであってほしい」と、願いを込める。

 大学を離れても、歴史的建造物の調査や研究には携わる。「気仙と巡り合ったことは、私にとって最大の幸せ。震災前はこういうまちだったということを資料集でまとめられたことで、恩返しはできたかなと思う。これからは大肝入屋敷再建へのお手伝いができれば」と話している。