かさ上げ地で再出発、「ホテル福富」あす開業/区画整理で移転(別写真あり)

▲ かさ上げ地であす再スタートを迎える新館を背に語らう佐々木さん一家(左から幹子さん、博子さん、忠和さん)=大船渡町

 東日本大震災の津波被害からいち早く再開を果たし、復旧工事やボランティア関係者を受け入れてきた大船渡市大船渡町字茶屋前の「ホテル福富」(佐々木幹子代表)。土地区画整理事業に伴い、換地先のかさ上げ地で進めてきた移転新築工事が完了し、「大安」の21日にオープンすることとなった。佐々木代表(75)は「大船渡のまちを築いてきた先人の思いを継ぎ、心機一転頑張りたい」と決意も新ただ。

 

にぎわい担う 決意も新た

 

 ホテル福富は、佐々木代表の母、故フクエさんが茶屋前地内で営んでいた「福富旅館」の別館として昭和49年、須崎川に面した場所で開業。同55年に現在の名称となった。

 いまの建物は鉄骨造り4階建て。東日本大震災では2階天井まで浸水したが、4カ月後の7月、無事だった3階部分の営業を再開。10月には全館再開し、全国の工事関係者やボランティア、自治体職員らを受け入れるなど、大船渡復旧・復興の拠点としての役割も果たしてきた。

 津波で壊滅的被害を受けた大船渡駅周辺地区では、中心市街地再生に向けてかさ上げなどを施す土地区画整理事業が導入され、ホテル福富は川の拡幅などに伴い、500㍍ほど離れた大船渡保育園近くに換地となった。

 同じ茶屋前地内で娘の博子さん(51)に任せていた姉妹旅館は、立根町内に移り「大船渡インターホテル椿」として再建した。これに加え、佐々木代表は自身の年齢や資金繰りなどから換地先での再建を悩んだが、昭和35年のチリ地震津波にも負けず再開を果たした母ら先人の姿を振り返って決断した。

 設計・施工は、被災後の再開にともに汗を流した地元の㈲コンノ建設(金野文夫代表取締役)に依頼し、昨年4月から工事を進めてきた。

 新しい建物は、4階建て56室と現在とほぼ同規模。シングル室の割合を増やし、全室バス付きと快適性向上を図った。

 各室や食堂には三軌会会員で絵画サークル七虹会の会長などを務める、夫の忠和さん(78)による作品をあしらう。外壁には、フクエさんが得意だった洋裁の糸玉と、海の青をイメージしたシンボルマークを新たに掲げた。

 すぐそばの高台にある大船渡保育園は、市が津波時の一時避難場所と位置付けており、有事の迅速な対応にも万全を期す。

 「『天災も人災も避けられない。どう対処するかが大切』と常々話していた母をはじめ、大船渡を築いてきた先人の方々が、まちをまた立派にしてと、天からエールを送っている気がする」と佐々木代表。

 駅周辺には福富も含めて計3軒のホテルが建ち並ぶことになるが、新館移行後も料金は1泊5500円、朝食1000円と現状を維持。

 スタッフは約20人。苦楽をともにしてきたベテランが多く、「お客さまがほっとできるような場所を一緒につくり、新しいまちの活気の一端を担わせてもらえれば」と張り切っている。