「希望のかけ橋」解体進む、今秋中に大部分撤去/陸前高田(別写真あり)

▲ 「希望のかけ橋」部分の撤去が進む。吊り橋と、一本松や水門との〝共演〟が見られるのもあとわずか=陸前高田市

見物客減少、観光に影響も

 

 

 陸前高田市で昨年9月まで稼働していたベルトコンベヤーのうち、「希望のかけ橋」の愛称で親しまれていた吊り橋部分の解体が4月から行われている。世界でもまれにみる災害復興のための巨大設備とあり、プラントの機能美をめでる愛好家のみならず一般の見物客がこぞって来市するなど、思いがけず観光客増に結び付いていた実績がある。橋の撤去は復興への確かな前進を示すものである一方、吊り橋の姿がなくなることを残念がる声も多い。設備が気仙川を渡る姿を見られるのは、この夏限りとなる。

 被災市街地土地区画整理事業の一環で、山から切り出した土砂を毎日5万5000㌧も運び続け、工期の大幅短縮に成果をあげたベルコン。事業自体は平成30年度まで続くが、ベルコンによる土砂搬送作業は昨年9月で終了した。 
 気仙町~高田町間のおよそ3㌔にわたり延びていたベルトと破砕設備等は、10月から順次解体され、最後まで残された吊り橋部分の撤去もこの4月に始まった。
 稼働終了、撤去開始に際しては戸羽太市長も「工事をいち早く推進していただいただけでなく、観光面でも当市の復興を支えてくれた」と述べた通り、ベルコンの存在は同市への観光客誘致にも大きな役割を果たした。
 事実、設備に隣接する高田町の「復興まちづくり情報館」への入館者数は、昨年1月~9月までに延べ9万3000人を数えた。同館へ立ち寄らずベルコン見学をした人も相当な数に上るとみられ、年間十万人単位で観光客を呼び込む力を秘めていたといえる。
 この解体による来市者の減少を肌で感じているのが、周辺の観光物産施設。㈱八木澤商店(河野通洋社長、矢作町)が希望の一本松そばで運営する「やぎさわカフェ一本松店」でも、ベルコン解体以後は集客と売り上げの減少が顕著だという。
 同店スタッフによると「来店者は以前の半分程度にまで減った。熊本地震が起きたこともあるだろうが、ゴールデンウイークも『去年とはお客さんの数が全然違う』と、お向かいの一本松茶屋さんとも話していた」と、明らかな影響を感じている。今でも時々、撤去を知らず「ベルコンを見学に来た」という客が訪れることがあるそうだ。
 市に対して〝復興遺構〟として残してはといった意見も寄せられたといい、行政サイドとしても名残は惜しいところ。
 しかしあくまで解体することを前提に建造された応急設備であり、残すとなると数億円単位の莫大な費用がかかってしまい現実的ではない。
 ベルコンの解体に携わる清水建設JVによると、作業は今年10月いっぱいで終了予定で、「〝橋〟としての形を見ることができるのは7月中旬ごろまでではないか」とのこと。コンクリートの基礎部分については保存も検討されており、同市市街地整備課は「復興祈念公園の計画との兼ね合いで協議を進めている」としている。