「後方支援やはり大切」、熊本地震被災地で実感/前住田町社協の吉田さん 

▲ 地震によって倒壊した家屋。現地では多岐にわたる支援ニーズを感じ取った=熊本県(吉田さん提供)

 前住田町社会福祉協議会事務局長の吉田浩(ゆたか)さん(62)と妻のさとえさん(56)=世田米=は先月、甚大な地震被害を受けた熊本市内に約2週間滞在し、避難所で過ごす障がい者らの見守り支援にあたった。メディアでは報じられない困りごとなどにふれた中で再認識したのは、住田町が東日本大震災以降尽力してきた後方支援の重要性。被災地の課題は日々変化する中、夫妻は「これからも協力できることがあれば」と、心を寄せ続ける。

熊本までの車による移動距離は約1700㌔。夫妻は「東日本大震災で遠方から来た方々のありがたさも身に染みた」と語る=住田町

熊本までの車による移動距離は約1700㌔。夫妻は「東日本大震災で遠方から来た方々のありがたさも身に染みた」と語る=住田町

 浩さんは東日本大震災当時、町社協で事務局次長を務めていた。発災以降、壊滅的な被害を受けた陸前高田市社協組織の復旧支援や、全国から訪れるボランティアと連携を取りながら後方支援に尽力。町社協では24年度から事務局長を務め、昨年3月に退職した。
 今年4月の熊本地震発災以降、浩さんは東日本大震災を機に知り合った支援者と連絡を交わす日々が続いた。5月に入り、5年前大股地区公民館に開設された「災害ボランティア住田町基地」で運営班代表を務めた南輝久さん(長崎県長崎市)らから、避難所の人手が不足していると連絡を受けた。
 夫妻は先月8日、自家用のワンボックスカーで住田を出発。10日に熊本市中央区内にある公共施設を訪れた。
 当時、この施設には自宅アパートなどが被災した障がい者22人が生活していた。夫妻は支援を続けていた「あすなろ会」の一員として、施設内や車両で寝泊まりしながら滞在。夜間におけるトイレまでの移動など、身の回りの世話にあたった。
 滞在中は降雨が多かったというが、日中はがれき撤去や被災家屋のブルーシート張替作業にも励んだ。さらに浩さんは、各地のボランティアセンターに足を運んだ。
 自身が後方支援にあたってきた経験を伝えたうえで、困りごとがないか尋ねた。「東日本大震災で知り合った人々や社協時代の仲間たちが、熊本でお手伝いするための橋渡し役になれればと思った」と振り返る。
 熊本地震被災地は避難所の閉鎖が近づき、仮設住宅に移る〝次のステージ〟の段階。浩さんが活動した施設も6月で避難者の退去が決まっていた。あすなろ会はその後も仮設団地でのコミュニティーづくりなどを見据えており、さとえさんはこうした活動を担うボランティアへの支援も必要との思いを抱きながら従事した。
 「寄り添えば寄り添うほど悩みが出てくる。支援ニーズはいくらでもある。社協やボランティアセンターに届いていない困りごとも多い」と、現地で感じた浩さん。がれき処理は、自治体個々の対応が求められるため、体制によっては限界に直面していたケースも。被災自治体の関係者はさまざまな業務に追われ、被災者が抱える悩みに向き合う時間が少ない実情にもふれた。
 浩さんは「災害時は周りの市町村がもっと協力し、被災した自治体が気軽に要請できる体制にならなければいけない。東日本大震災で、住田町や遠野市がやってきた後方支援が大切だと改めて感じた」と語る。先月26日に住田に戻ってきたが、被災地の一日も早い復興を祈り続ける。「少しは役に立ったかもしれないが、これからも何ができるかを考えていきたい」とも話す。