横田町出身の佐藤さん、日本陸上で砲丸投げ4位

▲ 日本陸上の表彰状を手にする佐藤さん

 「古里の人たちに良い知らせを」。その思いを胸に刻み、たゆまず努力し続ける陸前高田市横田町出身の砲丸投げ選手・佐藤征平さん(24)=国士舘クラブ=が、全国のアスリート憧れの舞台「第100回日本陸上競技選手権大会」に出場し4位入賞を果たした。表彰台は逃したが、自身の過去最高順位に到達。記録は17㍍40㌢で、3位とはわずか10㌢差に迫った。「良い記録を出すことで、岩手の後進を引っ張っていければ」といい、今年中の18㍍超えを目指す。

 

心はいつも陸前高田に

岩手の後輩引っ張る


 リオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた大舞台で、これまでの自己記録を更新した。一昨年の同大会では6位入賞したが、昨年は16位。不調から脱した形だが、「練習では17㍍80や90がバンバン出ていた。調整の時期を少し見誤りました」と佐藤さん。17㍍81㌢で2位となった中村太地選手(チームミズノ)は大学の同期。くやしさもひとしおだ。
 がっちりした体格を見込まれて始めた砲丸投げ。高田高校3年生のときにはインターハイ5位となり、陸上の名門・国士舘大学へ進んだ。しかし入学直前に東日本大震災が発生。佐藤さんは市役所職員だった父を失った。
 悩みながらも、「したいことをとことんまでやれ」という父の口ぐせを思い出し、競技を続けた。努力の積み重ねはそのつど実を結び、毎年のように自己記録を更新。津波で押し流された高田高校の部室棟から発見した投てきシューズは、大事な大会ではき続けたためもうボロボロだが、今も傍らに置いている。初心を忘れず、大好きな古里への思いを新たにするためだ。
 現在は東京都内の中学校で教員の補助をしながら、母校の国士舘大で練習に励む。将来は地元へ戻り、教員になるという夢も。だが今はまだ競技に集中し、故郷へ吉報を届けることを最優先に考える。 
 国士舘大陸上部には今年、同じ高田高出身のやり投げ選手・長沼元さんが入部。さらにもう1人岩手から部員が入った。「後輩たちを引っ張りたいと、最近はより強く思うようになった」と語る佐藤さん。「元たちは今後の岩手を背負っていく選手。まずは自分が『俺の背中を見てついてこい』と言えるようにならねば」という気概が、ますます佐藤さんを奮い立たせる。
 いわて国体では、砲丸投げが種目に入らなかった。だが福岡高校(二戸市)出身で、中学時代から知る米沢茂友樹選手(東海大院)が円盤投げで出場。「別の大会で記録を出し、良い意味で米沢にプレッシャーを与えたい」と同期へのライバル心ものぞかせる。
 昨年までは「出せたらいいなあ」程度に思っていた18㍍台が、いよいよ〝射程距離〟に入ってきた。「今年中に18㍍、必ず投げたい」。岩手の陸上界のレベル底上げのため、そして古里へエールを送るため、佐藤さんは自分自身と戦い続ける。