6日から大学関係者が古文書調査、大肝入吉田家の〝原点〟/住田町
平成28年8月4日付 7面
上有住・根岸の歴史に光
住田町上有住の故・吉田サダさん宅(屋号・根岸)で6日(土)から、宮城学院女子大学=宮城県仙台市=の平川新学長らによる調査が行われる。吉田家の初代当主は筑後政義で、元和6年(1620)に仙台藩祖・伊達政宗から大肝入に任命され、今泉村(陸前高田市気仙町)に移住。その後も根岸には政義の次男・彌治右衛門がとどまり、庄屋として上有住の統治役を務めた。現地では政義時代の旧家から受け継がれた古文書の整理などが予定され、大肝入統治に至るまでの経緯、有住や気仙全体の歴史解明などが期待される。
田園風景が広がる上有住宇南田地内に構え、ひときわ大きな寄棟屋根などから風格がただよう明治13年建築の吉田家。旧家は近隣の根岸地内にあったが、学制発布後に土地と住まいを提供。明治6年に上有住小学校となった。尋常小学校を経て、昭和22年に同校根岸分校と改称。28年に新校舎が完成したが、36年分校廃止に至った。
この旧家の初代当主が筑後政義。関ケ原の戦い(1600年)で敗れた西軍の将・小西行長の子で、各地を転々として下有住中清水に居を構えたとされる。根岸に移住し、庄屋として地域の統治役を果たしていた中、伊達政宗から気仙郡大肝入を任命される。
政義は数年間は根岸から出張勤務をしたのち、今泉に移住。根岸の邸宅には、次男の彌治右衛門がとどまった。
14代目にあたるサダさんは、平成22年に93歳で死去。以降、定期的に娘の英子さん(72)が管理に訪れている。
今泉の大肝入吉田家住宅(大庄屋)は、東日本大震災で被災。平川氏らは調査研究を進める中で、ルーツとなる根岸にも注目。旧邸から受け継がれてきた豊富な古文書の存在が明らかになり、本格的な調査を行うことになった。
平川氏のほか東北大学災害科学国際研究所の蝦名(えびな)裕一准教授、学生5人が訪れる予定。6、7の2日間にわたり、所蔵されていた古文書の年代別に分ける整理などが行われる見込み。
生前、サダさんは初代当主からの系譜を書き留めるなど、正確な歴史を後世に受け継ぎたい思いが強かったという。調査を前に、英子さんは「ご先祖さまにふれていただく機会に恵まれ、本当にありがたい」と涙ぐむ。
大学関係者による現地での本格的な資料整理・調査は初めてという。関ケ原の戦いで西軍の中心を務めた石田三成と気仙との関連、戦乱から藩政に落ち着くまでの動向、有住や気仙全体における産業・政治情勢など、調査成果が注目される。