根岸に眠る歴史後世に、所蔵の古文書を仕分けと撮影/上有住

▲ 古文書の撮影などにあたる大学生=上有住

 住田町上有住の故・吉田サダさん宅(屋号・根岸)で6、7の両日、宮城学院女子大学=宮城県仙台市=の平川新学長らによる古文書調査が行われた。吉田家の初代当主は筑後政義で、元和6年(1620)に仙台藩祖・伊達政宗から大肝入に任命されたほか、根岸は上有住の肝入として統治の拠点であり続けた。藩政時代の番所に関する資料や栗木鉄山の写真などが見つかり、今後の利活用のあり方が注目される。
 調査に訪れたのは平川氏と東北大学災害科学国際研究所の蝦名(えびな)裕一准教授、同大学文学部の学生5人。家屋内に所蔵されていた古文書を江戸、明治、大正、昭和などと年代別に分類したほか、腐食が進まぬよう中性紙の封筒に入れた。

所蔵資料には栗木沢製鉄所の全景写真も=同

所蔵資料には栗木沢製鉄所の全景写真も=同

 仙台藩と南部藩との境部に位置する上有住。古文書調査では「境目番所」の絵図や、番所でどういった物資の出入りを調べるかなどをまとめた〝マニュアル〟資料も見つかった。藩境における取り締まりや統制のあり方を推察することができる。
 明治以降の資料の中にも、注目すべきものが多い。明治時代に広まった感染症に関するまとめや、大正12年9月1日に発生した関東大震災から約2週間後に送られ、当時の惨状を詳細に伝える手紙なども見つかった。各時代において、情報がどう伝わったのかを探る観点でも興味深い。
 また、明治41年12月撮影の栗木沢製鉄所(世田米)全景写真や養蚕などに関する資料をはじめ、産業に関する歴史も眠る。平川氏は「丁寧に残されてきたもので、歴史解明につなげるためにも、まずはしっかり保存、整理したい」と語る。
 資料一つひとつに向き合い、仕分けをしながら写真撮影などを行う作業は、学生5人が手分けをしながら地道に展開。文学部4年で国文学専修の柴田直美さん(21)は「古文書の内容を読み取り、一枚だけの資料なのか、何枚も続くのかなどを判断しながら進めた。自然の豊かさや、家の大きさにも驚いた。昔からの歴史が、これからも受け継がれてほしい」と話していた。
 根岸の現家屋は、田園風景が広がる上有住宇南田地内に構え、大きな寄棟屋根が映える。14代目のサダさんは、平成22年に93歳で死去。以降、定期的に娘の英子さん(72)が管理に訪れる。
 旧家は近隣の根岸地内にあり、明治から大正、昭和前半は学校施設として活用。旧家の初代当主が筑後政義で、庄屋として地域の統治役を果たしていた中、伊達政宗から気仙郡大肝入を任命された。政義は数年間は根岸から出張勤務をしたのち、今泉に移住。根岸の邸宅は次男の彌治右衛門がとどまり、同家は長らく上有住の肝入の役割を果たし続けた。