10月に完成祝う落慶法要、竹駒町の荘厳寺/陸前高田

▲ 全焼被害を乗り越え、再建を果たした本堂を見渡し喜びをかみしめる三宮さん=竹駒町

苦境越え再建 万感

 

 「寺の復興が自分に課せられた使命」――。東日本大震災で亡くした、おいに代わり正住職となった陸前高田市竹駒町の功徳山・荘厳寺の三宮憲定さん(80)。400年以上続く寺の歴史を途絶えさせまいと青森県むつ市の寺から故郷の陸前高田に戻ったが、2年前の火災で寺は全焼。昨年12月に檀信徒と全国からの力を借りて再建を果たした。10月9日(日)に営む落慶法要も間近に迫り、「多くの支えでここまで来た。万感の思いです」と苦難を乗り越えた喜びをかみしめる。

 

津波でおい死去、本堂全焼も檀家らの支え力に

 

 竹駒町出身で、高校1年の時にむつ市に引っ越した三宮さん。平成3年には本州最北端・下北半島にある優婆(うば)寺の正住職を父から継いだ。
 20年には寺を新たに建て直した。「年齢も考えて息子に寺を譲り、隠居しよう」と考えていたころ震災が発生。津波でおいの三宮昌弘住職(当時52)が犠牲となり事態は急変した。
 荘厳寺は慶長2年(1597)、仙台藩主初代金山奉行・松坂徳右衛門定久が玉山金山に創建。元禄2年(1689)に現在地に移築されたという。
 三宮さんは発展途上国の学校建設など支援を行う一般社団法人の役員も務め、「さらに教育環境を充実させたい」という夢があった。しかし自身が生まれ育ち、父、兄、おいが守ってきた寺の窮地を見過ごすことはできなかった。
 震災後は優婆寺との住職を兼務し、その後の3月11日には犠牲者の追悼法要も行ったが、26年1月の火災で荘厳寺は本堂や庫裏、本尊が全焼。「頭が真っ白になり、その先のことは全く考えられなくなった」と途方に暮れた。
 この中、地域内外から備品などの支援や浄土宗の宗務長らからの励ましを受け、檀信徒とともに再建を決意。復興委と建設委を立ち上げ、三宮さんは26年10月、優婆寺の住職を退き、荘厳寺30代目の正住職に就いた。
 再建工事は昨年1月に始まり、同12月に完成。創健者の子孫が奉納した山号「功徳山」、寺号「荘厳寺」を記した扁額は、清水寺(京都市)貫主の森清範猊下(げいか)が揮ごうし、京都の大学教授で「現代の名工」の須藤光昭さんが制作したもの。7月には高田松原の被災マツでつくった本尊の魂入れも終えた。
 「檀家の熱意と全国からの善意がなければ今はない。心から感謝です」とほほ笑む三宮さん。「寺を次の世代につなげるまで何とか頑張っていきたい」と思いを新たにする。