来年度から内容調査へ、〝産業遺産〟の栗木鉄山跡/住田町(別写真あり)

▲ 鉄山跡に残されている遺跡や地形を確認する参加者=住田町

 住田町の種山高原に近い世田米子飼沢地内に広がる栗木鉄山跡。明治から大正にかけての製鉄遺跡として、町教委は平成33年度までの国指定文化財申請を見据え、29年度から内容確認調査に入る計画を掲げる。5日に現地で行われた栗木鉄山跡調査指導委員会議では、委員らが保存状態の良さなどを再認識。今後の産業遺産としての史跡価値明確化に向けた取り組みの行方が注目される。

 

国指定文化財申請見据え

 

 会議は今年6月以来2回目の開催。委員は小野寺英輝氏(岩手大学工学部機械システム工学科)熊谷常正氏(盛岡大学文学部社会文化学科)小向裕明氏(大槌町教委埋蔵文化財調査課)佐々木清文氏(埋蔵文化財セ)の4人で構成している。
 この日は、県教委生涯学習文化課担当職員や町教委職員を加えた10人余りが参加。世田米の国道397号栗木トンネルの種山側に位置する鉄山跡を歩き、残されている施設配置が描かれた記憶図などと照らし合わせながら石垣などを確認した。
 第一高炉の近隣には工員住宅や購買部、分校などがあった。製鉄設備の近くで従事する人々や家族の生活が営まれ、「町工場」のような一帯だったことも連想させる。第二高炉よりも下流域には鋳物工場があり、比較的芸術性の高い製品が多いという。
 確認後、委員長を務める熊谷氏は「残り具合は非常に良い。国指定史跡になる条件はそろっていると思う」と所感を述べた。そのうえでポイントを絞った調査の重要性を指摘し、第一高炉や本社事務所、鋳物工場部分を挙げた。さらに大股川上流側の対岸部分などを調査する必要性も話題となった。
 過去に行われた調査に携わった佐々木氏は「工場地帯のほぼ全域が残っていることが貴重。きちんと整備され、多くの人々にも活用されれば」と期待を込める。江戸時代から伝わる鉄や鍛冶にかかわってきた人々の参画や、豊富な木材資源を生かし、動力エネルギーとして活用された木炭製造とのつながりも強調する。
 栗木鉄山は、明治14年から大正9年まで操業された民営の製鉄所。一時は国内4位(民間3位)の銑鉄生産量を誇った。
 仙台領における文久山高炉の流れをくみ、第一高炉は製鉄史の中で大島高任式高炉の掉尾(最終期)を飾るとの位置づけも。奥州市側には郵便局などもあり、大船渡市側に空中ケーブル設備となる鉄索の原動機室や新溶鉱炉が配置されていたという。
 大股川沿いの幅約70㍍、長さ500㍍の範囲には今も石垣や水路、高炉の位置などを示す遺跡が見られる。平成5、8、9、10年の計4回にわたる試掘調査では、閉山時の遺構が極めて良好な状態で保存されていることが明らかにされた。平成9年に町指定、11年に県指定の各史跡となっている。
 19年の大雨などにより、第二高炉北側の石垣の一部が崩壊。高炉等への影響が懸念される状況となったため、23年に石垣復旧工事が行われた経緯もある。現在は町教委が定期的に下草管理を行っており、比較的歩きやすく、川のせせらぎや森林のすがすがしさを感じられる環境が広がる。
 町教委は33年度までに、国に文化財指定申請を行う考えを示す。これまでの経過や歴史的な価値をふまえ、貴重な遺跡の保全を進めるとともに、住民をはじめ多くの人々に学びの場を提供できる環境整備推進も見据える。種山に構える各観光施設に近く、幹線道路沿いにあるため、住民らによる利活用への関心の高まりが期待される。