引きこもりの悩みに寄り添う、陸前高田の元校長・佐々木さん

▲ 妻の遺志を胸に今年最後の勉強会に臨んだ佐々木さん=猪川地区公民館

 東日本大震災で妻と引きこもりだった次男を亡くした元小学校長が、不登校や引きこもりの子を持つ家族らの悩みに寄り添っている。妻が立ち上げた「不登校ひきこもり気仙地区父母会」の事務局を担う佐々木善仁さん(66)=陸前高田市広田町。震災直後に退職するまで仕事一筋を貫き、次男の問題は妻に任せっきりだった。「今になって息子の苦しみ、妻の大変さが少しずつ分かってきた。自分の至らなさに報いるためにもできることをしないといけない」と奔走している。

 

津波で妻と次男失う

遺志継ぎ使命感胸に

 

 父母会は毎月第3土曜日午後2時から4時まで、大船渡市猪川町の猪川地区公民館で「勉強・相談会」を開催。同じ悩みを持つ親らが本音を打ち明けている。
 今年最後の勉強会は17日に開かれ、6人が参加。佐々木さんはしっかりとうなずきながら、一人ひとりの話に耳を傾けた。かつて同じような境遇で悩んでいた妻や次男の気持ちと向き合う時間でもあり、「皆さんの話を聞きながら勉強させてもらっている」と語った。
 佐々木さんの次男・仁也さんの不登校は、中学2年になる直前に始まった。佐々木さんの転勤に合わせ、陸前高田市から釜石市へと転校したのがきっかけだった。
 3年生までの2年間、学校に通うことができず、授業がある昼間は人目を気にして外に出ず、家にこもりっきり。誰にもぶつけられない感情をものに向け、部屋の壁に穴を開けることもしばしばだった。
 副校長だった佐々木さんは午前6時過ぎに家を出て、帰ってくるのは午後8、9時。仁也さんと顔を合わす機会はほぼなかった。妻のみき子さんから仁也さんの様子は、その都度聞いていたが、「俺の息子だから大丈夫だ。いつか学校に行くようになる」と家族ゆえの理屈で片付け、仕事に没頭してきた。 
 高校は単位制の杜陵高に進学し、「これまでの分を取り戻すかのように」ほぼ無欠席で通学し、中学のころから好きだったスポーツにも打ち込んだ。優秀な成績で無事卒業したが、大学浪人生活などを機に再び家に引きこもるようになった。
 その後は、家族とともに生活。あの日、大きな揺れに襲われたときも高田町の自宅から一歩も出ず、津波は家ごとのみ込んだ。仁也さんを外へ出そうと避難が遅れたみき子さんも行方不明となった。
 当時、広田小の校長だった佐々木さんは、家族の安否の不安をよそに、学校に寝泊まりして児童や学校への避難者対応に追われた。3月下旬、遺体安置所で仁也さんと対面し、人目もはばからず泣いた。4月中旬には、みき子さんも同じ安置所で見つかった。仁也さんは28歳、みき子さんは57歳だった。
 深く刻まれた心の傷は癒えないが、支えもある。長男・陽一さん(35)の存在だ。まったくできなかった炊事にも挑戦し、仕事を終えた陽一さんの帰宅に合わせて温かい料理を準備している。慣れない家事をやるたびに、みき子さんへの感謝の思いも募る。
 平成19年に発足した気仙地区父母会。生前、みき子さんから「退職したら手伝ってね」と言われ続けてきた。予期せぬ形で、みき子さんから組織運営のバトンを託された。「仕事を理由に家族と向き合ってこなかった。そのためにもやらなければならない」。後悔と表裏一体の使命感がこみ上げる。
 「不登校、引きこもりを抱える家族に『決してあなた一人ではない』と伝えたい。心のよりどころとするためにも、決まった日、時間に開催し続けることに意義がある」と信じ、これからも活動に力を注いでいく。