摘んで、食べて、使って・北限のゆず、広がりゆく可能性

 毎年11月ごろになると一面にさわやかな香りを漂わせ始め、冬の到来を知らせてくれるユズ。われわれにとっては身近な果樹だが、実は本県ではほぼ「ここでしか見られない」木でもある。このため気仙では、陸前高田市の団体を中心として「ユズによる地域PR」に取り組んでいる。

透き通る青空と、みずみずしく茂る葉、そして黄色く熟したユズ!気仙の冬の風物詩たる光景だ=米崎町

透き通る青空と、みずみずしく茂る葉、そして黄色く熟したユズ!気仙の冬の風物詩たる光景だ=米崎町

 

気仙地方とユズとのかかわり

 

 ツバキや茶、竹など、「生産の北限」と言われる植物が多い気仙地方。中でもユズは、県内陸部の人が「岩手で柑橘類がなっているのを見るなんて」と驚くほど、温暖な気仙を象徴する果実といえる。%ef%bc%92%e8%89%b2%e3%81%86%e3%81%99%e3%81%8f%e3%82%88%e3%81%93%ef%bc%93
 日本海側では秋田県由利郡、太平洋沿岸では、釜石市唐丹あたりまでユズが生えていた記録もあるが、すでに枯死が確認されているといい、青々と葉を茂らせ、元気に育つ大樹を拝めるという点で、気仙は「北限」を名乗るにふさわしい。
 気仙では古い家の敷地内に、よくユズの木が生えている。この地のユズは、最も古いもので樹齢200年とも。「先祖が伊勢参宮の際に種を持ち帰った」と言われていたり、「他県から苗木を分けてもらって植えたのが始まりだったらしい」など、家々で由来はさまざま。温暖で日照時間が長い気仙は、柑橘類の生育にも運よく適していたのだろう。
 柑橘類といえば、西日本での生産が盛ん。全国屈指のユズ産地・徳島の果樹試験場研究員は、気仙のユズを視察に訪れた際、幹の太さや丸みに着目。徳島では丸みがあるものが少なく、いったん実がなると周囲の葉は落ちるというが、「ここのものは青々と葉が茂っている。健康で、病気にもかかりにくそうだ」と驚いていたという。
 しかし気仙の人々とユズとのかかわりは、元来とてもゆるやかなものだった。
 農作物として植えられたわけではなく、もっぱら自家消費が中心。冬至の前に市日や産直でいくらか扱われる程度で、あとは家で漬物に使ったり、砂糖と一緒に皮ごと甘く煮て食べたり……。

ユズの花をつばき油につけ、整髪料にすることも

ユズの花をつばき油につけ、整髪料にすることも


 初夏に開花する花がとても良い芳香を放つことから、「花ごとつばき油につけて、整髪料に使っていた」というしゃれた話も聞くが、豊作の年も実を取りきることはなく、放置されている場合が多かったのだ。

 

「北限のゆず研究会」発足

 

 気仙のユズに大きな価値を見いだし、「特産品として育てていったらいいのでは」と最初に訴えたのも、実はこの地域の人ではなかった。
 二戸市の酒造会社㈱南部美人は、ブルーベリーや山ブドウなどを使った「糖類無添加」のリキュール製造を展開する過程で、「岩手県内にもユズがある」と知った。そこで平成22年、県の農業改良普及センターを通じ、陸前高田市の生産組合などに「ユズを集めてほしい」と打診したという。
 翌年には東日本大震災が発生したものの、市内でなんとか数百㌔分を調達し、南部美人へ提供。同社の厚意で、この年に完成したゆずリキュールは、すべて陸前高田市内で販売されることになった。そこで米崎町の産直ふれあい市場に置いたところ、およそ570本があっというまに完売した。
 「北限のユズをブランド化すべき」──同社の久慈浩介社長は、復興への足掛かりとしても、ユズの生産に力をいれることを推した。
 これを受けて24年から収穫に本腰を入れ始め、25年6月には市内の産直や社会福祉法人で「北限のゆず研究会」(会長・佐々木隆志陸前高田ふれあい市場組合長)を立ち上げたのだ。
 佐々木会長(57)は「自分たちからすると、それほどのものという認識がなかった。ただ、『すごいんだよ』と言ってくれる人の言葉を地元の人間として受け止めたかった」という。

 南部美人が手掛けるゆず酒


    南部美人が手掛けるゆず酒

(15面へ続く)