新春インタビュー/2017挑む!!気仙人① 大船渡高出身・鹿島アントラーズ 小笠原満男さん(37)

 本紙で毎年恒例の「新春インタビュー」。今回は各界で活躍する若手の〝気仙人〟を取り上げ、地域の復興・活性化に関する思い、抱負などを語ってもらった。

 

サッカー通じできることを

 

 ──東日本大震災後、高校時代を過ごした気仙地方に心を寄せ続け、さまざまな支援を行っている。東北出身のサッカー選手で結成された「東北人魂」の一員として、また個人としてこれまでの活動を振り返ると。
 小笠原 まずは震災直後に避難所も回らせてもらい、支援物資を届けるところから始まった。だがすぐに「スパイクがない、ボールがない」というレベルの話ではないことが分かった。子どもたちの口から「サッカーする場所がない」と聞いたとき、改めて「そんな〝ありえないこと〟が起きてしまったのだ」と衝撃を受け、自分の無力さを感じた。
 その後は高校の同級生らも一緒に動いてくれ、「東北人魂・岩手グラウンドプロジェクト」を発足。被災した赤崎小学校跡地に(平成25年春)仮設グラウンドを開設した。
 2年前からは茨城の高校生を招き、釜石で交流サッカー大会も開催。今後は赤崎のグラウンドも人工芝にしたいと考えているところ。人工芝になれば雨や雪が降っても使えるし、大船渡でも大会を開いたり、プロの選手を呼んで一緒にサッカーしたりできる。
 外の人に現地へ足を運んでもらう仕組みづくりは大事。震災について知ってもらったうえで、ごはんを食べたり何か買ったりもしてもらえれば。地元でさえ、あの大震災を知らない子どもたちが増えてきたし、語り継ぐ必要性も感じている。とにかく「災害を人ごとと思ってほしくない」の一言に尽きる。
 ──震災からまもなく6年。一度も自校の校庭を使わないまま小学校を卒業する子が出てくるほどの年月だ。校庭が思うように使えなくても、技術力向上や心身を鍛えるためにできることはあるだろうか。 
 小笠原 校庭がないというのは、確かに考えられないほど悪い環境。だが結局は考え方次第なのだと思う。
 自分も盛岡で育って、冬の4~5カ月はグラウンドが使えず、狭い体育館で練習したり、体力強化で走ったりするしかなかった。その分、春に思い切りサッカーができる喜びと感謝があったし、練習を大事にできた。マイナスばかりではない。
 不便と考えたらどこまでも不便だけど、ここの子どもたちはその分、これからどこへ行っても耐え抜いていけるはず。今の状況を貴重な糧とし、考え方をプラスに変えていってほしい。
 ──チームは昨年のJリーグ年間王者に輝き、クラブワールドカップ準優勝、天皇杯優勝と明るい話題をもたらしてくれた。選手として今後どうありたいか。
 小笠原 こっちへ帰ると、小さい子からお年寄りにまで、「見てるよ」「優勝おめでとう」と言ってもらえて本当にうれしく、励みになる。今度38歳になるが、いけるところまでいきたい。
 けど、80歳までサッカーをできるわけじゃない。グラウンドプロジェクトにしろ子どもたちとのふれあいにしろ、「後に続くJリーガーがここから出てきてほしい」と思って取り組んできた。
 そのためにも、(元ベガルタ仙台、グルージャ盛岡の選手で、現在は大船渡高校教諭としてサッカー部の指導にあたる、2年後輩の)中田洋介にも頑張ってもらわないと。
 ──復興を目指す〝第二のふるさと〟への思いは。
 小笠原 なかなか思うように進まないけれど、確かに変化はしている。学校の仮設住宅が撤去され始めたのを見ると、子どもたちのためにもうれしいし、「そこの人たちが新しい住まいを見つけることができたんだな」と前進を感じる。
 道のりはあまりにも長いが、早く復興してほしいと心から願っている。これからもサッカーを通して自分にできることを手伝っていきたい。
(聞き手・鈴木英里)