復興進展 なお課題も、東日本大震災きょう6年/気仙
平成29年3月11日付 1面

気仙にも大きな傷跡を残した東日本大震災は、きょうで発生から6年を迎える。大津波の襲来でがれきに埋もれた沿岸部では、復旧への槌音がやむことなく響き渡り、住まいやなりわいの再建の進展が形として表れてきた。一方で、解決すべき課題は山積し、被災した人々すべてが平穏な暮らしを取り戻すまでには時間を要する。気仙が大震災被災地となってから6年。復興は、いまだ道半ばだ。
大船渡市三陸町の越喜来湾を一望する海抜53㍍の高台に、越喜来小学校と一体的に整備された越喜来こども園。昨年11月に供用開始して以来、園児の元気な声が響いている。「あの日」があって生まれた新しい風景の中で、無邪気にはしゃぐ子どもたちの姿は、復興の途上にある地域へ明るい光を差す。
平成23年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源として国内観測史上最大のマグニチュード9・0を記録した大地震による大津波は、気仙沿岸にこれまでにない被害をもたらした。
県総合防災室のまとめによると、2月末現在、気仙両市での死者は大船渡で340人、陸前高田で1556人。避難生活に伴う体調悪化などによる関連死は大船渡で81人、陸前高田で46人。行方が分かっていないのは大船渡79人、陸前高田で203人で、月命日に合わせた警察の捜索活動は、いまも続いている。
津波で倒壊した家屋は両市合わせて7984棟。被災者の住まい確保へ進められてきた災害公営住宅は、大船渡市で25団地801戸すべてが昨年9月までに完成。陸前高田市は11団地883戸が計画され、残る脇の沢(60戸)、今泉(61戸)、長部(13戸)が間もなく出来上がる見通し。
防災集団移転促進事業による高台の宅地造成は、大船渡市で中赤崎地区が29年度、陸前高田市は高田・今泉両地区がいずれも30年度に完了の見込みだ。
公的再建を待たずの自力再建も進み、民間の賃貸住宅の「みなし」を含む仮設住宅入居者は、ピークで6500人ほどだった大船渡では1000人を切り、小中学校グラウンドに建てられた分の撤去も着々と進む。陸前高田では約6200人から約2200人まで減り、集約化の検討が始まっている。住田町ではピークのおよそ4分の1の70人台となり、特徴的な木造戸建て仮設の払い下げも行われた。
一方、経済面などから行き先を決めかねている世帯も。両市それぞれが昨夏、仮設住宅入居世帯を対象に行った意向調査からは、いずれも数十世帯が行き先を決めかねていることが浮かび上がっており、きめ細やかな支えが求められる。
いったんはがれきに埋もれた両市の中心市街地では、「かさ上げ」で築かれた新しい地面で、再生に向けた動きが速度を増す。4月には被災商業者が主体となった施設のオープンも控える。当初、周辺の土地区画整理事業区域内に住む人は少なく、出店者らは集客に知恵を絞る。
今年2月末の人口は、大船渡市3万7827人、陸前高田市1万9811人。震災前の23年3月1日現在と比べると、大船渡で2752人、陸前高田で3410人減っている。市民とともに震災後の地域経済を支えてきた災害復旧工事関係者など、外から訪れる人々の数は歳月を経るごとに少なくなっていく。
壊れたものを元に戻す復旧は、従前と形を変えるものもありながらゴールが見えつつある。その中で次々と出来上がっていく新しい「器」をどう満たしていくか。そして、「あの日」の記憶や体験を持たない次世代に、いかに教訓を継いでいくか。復興への確かな道筋づくりは、これからが正念場だ。
きょう両市追悼式
気仙両市の東日本大震災追悼式は、きょう午後2時30分から行われる。会場は大船渡がリアスホール、陸前高田が市コミュニティホールと特設テント。住田町では、午後2時46分にサイレンを鳴らす。