鎮魂の日 祈り深く… 、気仙各地で慰霊の催し(動画、別写真あり)

▲ 多くの市民が参列し、海へと折り鶴を流した=大船渡町

 戦後最大の自然災害となった東日本大震災の発生から6年。沿岸部を中心に大きな津波被害を受けた気仙では11日、大船渡、陸前高田両市による追悼式以外にも、各地で犠牲者を慰霊する催しが行われた。残された遺族、多くの市民らが亡き人に深い祈りをささげ、再び巡りきた「鎮魂の日」にふるさと復興への誓いを新たにした。

 

折り鶴に思い込めて/大船渡町

 

 大船渡市大船渡町の本増寺(木村勝行住職)は11日、大船渡町のサン・アンドレス公園前岸壁で海上折鶴流しを行い、震災犠牲者の冥福を祈った。

 この日は、同寺で慰霊法要を執り行ったあと岸壁に移動。約150人が参列し、地震が発生した午後2時46分に合わせて黙とうした。

 一人ひとり焼香したあと、参列者が折り鶴を持って船着き場から海へと流しながら手を合わせ、犠牲者へと鎮魂の思いをささげた。

 大船渡町字台の菊池昭子さん(62)は「私たちも頑張るから、上から、復興へ向かう姿を見ていてほしい」と、津波で犠牲となった多くの知人・友人を思いながら、優しく海へと折り鶴を流した。

 

津波の記憶伝承を誓う/三陸町綾里

 

170312-%ef%bc%97%e3%83%88%e3%83%83%e3%83%97%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%94 大船渡市観光物産協会(齊藤俊明会長)は同日、同市三陸町綾里の綾里駅(綾里物産観光センター銀河)で、同駅前広場にある津波記憶石の周知を兼ねた追悼行事を実施した。地域住民約10人が参加し、記憶の伝承を誓いながら犠牲者に黙とうをささげた。

 津波記憶石は、墓石業者の全国組織・一般社団法人全国優良石材店の会(事務局・東京都)が平成25年3月に、復興支援の一環で建立したもの。日時計の機能があり、命日の津波発生時刻になると、石に彫られた「忘れない」という文字の中央に、光と影の境目が重なる。

 今回の行事は、この石の存在をより多くの人たちに知ってもらい、教訓を後世につなごうと企画。同センター観光振興支援員の熊澤富貴子さんが、記憶石が完成するまでのいきさつを説明した。

 地震発生時刻の午後2時46分には、石の前に移動。あいにくの曇り空だったが、同時刻になると奇跡的に雲の切れ間から光が差し、参加者らが日時計の〝役目〟を確認した。

 サイレンが鳴る間は、海に向かって黙とう。静かに目を閉じ、犠牲者らに思いを巡らせた様子だった。

 

御霊安らかに参列者が拝礼/広田町

 

海に向かって拝礼する参列者たち=泊漁港

海に向かって拝礼する参列者たち=泊漁港

 県神社庁気仙支部(荒木眞幸支部長)の東日本大震災物故者慰霊祭は同日、陸前高田市広田町の泊漁港で行われた。気仙地区内の神職や地域住民ら約100人が参加し、今年も鎮魂の祈りを海にささげた。

 震災犠牲者の御霊を慰めるとともに、被災地の早期復興を祈願しようと、毎年3月11日に実施している慰霊祭。1回目は震災の年の9月11日に行っており、今回で7回目を数える。

 同日は泊漁港中沢浜付近に斎場を設置し、神事を執り行った。

 祝詞の奏上や海上の清祓などを実施したあと、荒木支部長ら代表者数人が玉串を奉てん。参列者たちは代表者に合わせて拝礼し、犠牲者の冥福を静かに祈った。

 神事終了後には、荒木支部長(73)と広田町に鎮座する黒崎神社の総代長・菅野徳一さん(70)がそれぞれあいさつした。このうち菅野さんは、生きて前に進むためには気力が大切だと指摘したうえで、「これからも皆さんで協力して、かつてのような住みよい広田町を再建しましょう」と訴えた。

 「まだ見つからないご遺体もあるけれど、御霊は不滅で必ずそこに残っている。慰霊祭には、その御霊を鎮めたいという気持ちと、一日も早く復興したいという願いを込めた」と荒木支部長。「支援がない時代でも、先祖は何度も立ち直ってきた。やってもらうのを待つのではなく、『自分たちで』という気持ちにならなければ」と話していた。

 

地蔵尊に安寧の願い/小友町

 

小友地蔵尊で営まれた法要=小友町

小友地蔵尊で営まれた法要=小友町

 陸前高田市小友町字茗荷地内にある「小友地蔵尊」で同日、東日本大震災七回忌の法要が営まれた。毎月命日に訪れている平泉町の中尊寺金剛院の破石澄元(はせき・ちょうげん)住職(66)ら僧侶が、地域住民らとともに手を合わせた。

 同町の被災地を見下ろす高台にある小友地蔵尊。震災1カ月後の23年4月、近くに住む志田勘一郎さん(73)愛子さん(69)夫妻が献花台を置いた場所だ。破石住職はこれ以降、毎月11日にここを訪れて志田さん夫妻や地域住民らとともに月命日の法要を続けている。

 24年に大阪府堺市の一般社団法人・元気人間製造研究所(森重子理事長)から愛らしいお地蔵さんが贈られ、27年夏には中尊寺などの協力であずまやが設けられた。

 震災から6年となった同日は、元気人間製造研究所、お地蔵さま寄贈の橋渡し役となったNPO法人・夢ネット大船渡(岩城恭治理事長)の関係者らも参列。合わせて約50人が手を合わせ、鎮魂と復興を願った。

 お地蔵さまのすぐ隣には遺族らによる写経をおさめる碑も設け、この世で別れても極楽では一緒になるという意の「倶会一処」が刻まれた。

 破石住職は「もう6年なのか、まだ6年なのか、それぞれの思いがあると思う」と話し、これからも寄り添い続けることを誓っていた。