〝あの日〟追慕し「七回忌」、気仙両市で大震災追悼式/発災6年(別写真あり)

▲ あらゆる世代の人が絶え間なく訪れた一般献花台=シンガポールホール

 平成23年の東日本大震災発生から丸6年を迎えた11日、気仙両市で震災追悼式が開かれた。ともに式典は無宗教、献花式で執り行われたが、満6年の命日は、日本の仏教において重要とされる「七回忌」にあたることもあってか、大勢の市民らが花を手向けるために参列し、大津波で犠牲となった人々の御霊(みたま)が安らかであるようにと願った。

 

一般参列者も多数来場/陸前高田

 

 大津波による直接死1556人、震災関連死を含めて県内最多の1600人以上が亡くなり、今も203人の行方が分からない陸前高田市。多くの犠牲者の鎮魂を祈る追悼式は、昨年に続き高田町の市コミュニティホールで行われた。今年は屋外の特設テントで式典を実施。用意された1200席の大半が埋まり、同ホール・シンガポールホール内に設けられた一般参列者用献花台にも、花を供える人たちが絶え間なく足を運んだ。
 会場では冒頭、東京・国立劇場で挙行された国主催の追悼式が中継され、次第を同時進行。国歌斉唱のあと、午後2時46分に合わせて1分間の黙とうがささげられた。
 安倍晋三首相の式辞に続いて、秋篠宮文仁親王殿下が哀悼の意を示し、被災地に対する激励のお言葉を述べられた。
 このあと、戸羽太市長は「熊本地震、昨年の台風10号など、各地で甚大な被害をおよぼす災害が発生している」とし、発災から6年が経過したいま改めて災害に備える大切さを訴えたうえ、「住宅再建と心の復興を果たせるよう、また、子どもから高齢者まで活躍できる『ノーマライゼーションという言葉のいらない』まちづくりを進めるべく、全力の限りを尽くす」と、同市の犠牲者と行方不明者、その遺族・家族らを前に固く誓った。
 遺族代表の言葉を述べたのは、高田町で父母を亡くした阿部裕美さん(48)。市民体育館で避難誘導をしていて犠牲となった父と、行方が分からず、知らぬ間に千葉県の斎場で荼毘(だび)に付されていた母に対する悔恨、かさ上げによって同市が土の下に消えた時の喪失感について打ち明けたあと、「いま高田のまちは生まれ変わろうとしている」「新しいまちへ、また夫婦で店を構えることにしました」と報告。「一日一日を大切に生きていく。これからも決して焦ることなく、一歩ずつ前へ進んでいきます」と語り、犠牲者の冥福と行方不明者の発見を願った。
 市はこの日、シンガポールホールの献花台を午前10時から午後6時まで開放。同4時時点で延べ600人近い参列者があり、献花台は色とりどりの菊やランなどで埋め尽くされた。発災当時は幼かった子どもの成長した姿、UR都市機構の職員など復興工事に携わる人たちの姿も見られ、「東日本大震災犠牲者之霊」と書かれた標柱を見上げたあと、静かに目を閉じた。
 矢作町で暮らす70代の女性は、「津波で亡くなった友達がいる。遺族ではないから式典には参加しないけれど、花だけでも供えようと思って。『今年は七回忌だね、こっちは元気でやってるよ』と報告した」と話していた。

 

大切な人々へ誓い新た/大船渡

 

追悼式で犠牲者らをしのんで献歌する大船渡さんご合唱団=リアスホール

追悼式で犠牲者らをしのんで献歌する大船渡さんご合唱団=リアスホール

 大船渡市による追悼式は盛町のリアスホールで開かれ、市民ら約570人が参列。参列者らは一人一人祭壇に花を手向け、6年前の震災で犠牲となった大切な人々をしのび、ふるさとの復興に向けて前へ進んでいこうと誓いを新たにした。
 同市では震災によって340人が犠牲となり、いまだ79人の行方が分かっていない。避難生活の中で体調を悪化させるなどし、亡くなった関連死も81人にのぼる。また、約650人が応急仮設住宅で生活を送っている。
 追悼式は、震災で犠牲となった人々の霊を慰め、命の尊さや人と人との絆の大切さを再認識しようなどとして挙行。大ホールのステージには、「東日本大震災犠牲者之霊」の標柱が立ち、祭壇が設けられた。
 はじめに、国主催による東日本大震災六周年追悼式の映像中継を放映。震災が発生した午後2時46分には全員で1分間の黙とうをささげ、安倍晋三首相の式辞や秋篠宮文仁親王殿下のお言葉に耳を傾けた。
 戸田公明市長は、犠牲者らに対する追悼の思いと、国内外から寄せられた支援への感謝を込めながら式辞。「人生の道半ばで犠牲となられた方々の、ふるさとへの思いを受け継ぎたい。今を生きる私たちは、貴い犠牲を片時も忘れることなく、教訓を深く心に刻み、被災者に寄り添いながら、全力で大船渡市の復興を成し遂げることを誓う」と述べた。
 長坂康正復興大臣政務官、達増拓也知事(いずれも代読)、熊谷昭浩市議会議長が追悼の言葉を贈り、大船渡の復興加速に努めていく決意を込めた。
 続いて、大船渡さんご合唱団が献歌。同市出身のピアニスト・西村元希さんの伴奏に合わせ、「空~ぼくらの第2章~」「花は咲く」を披露した。メンバーらは心を一つにしたハーモニーを響かせ、空からふるさとを見守る犠牲者らへと届けた。
 その後、出席者らが一人ずつ祭壇に向かい、献花。白いカーネーションを手向けると静かに手を合わせ、亡き家族や親戚、友人たちに思いをはせた。
 盛岡市の上野泰輝さん(53)は、妻と娘、5カ月になる孫と参列。友人と会うために大船渡を訪れたのを機に、初めて震災の追悼式に出席したという。
 「友人たちから被災の様子を聞いており、犠牲になられた方々に手を合わせたいと思っていた。震災の記憶は、忘れてはならないと思う。生まれたばかりの孫は震災を知らない世代になるが、しっかりと語り継いでいきたい」と話していた。