仲間の遺志 胸に刻む、気仙分団が震災追悼式/陸前高田(別写真あり)

▲ 亡き仲間へ哀悼の祈りをささげる遠野分団長=気仙町

 陸前高田市消防団気仙分団(遠野善喜分団長)は23日、気仙町の同分団本部(3部屯所)で、震災で犠牲となった分団員7人とOBを悼む「東日本大震災追悼式」を開いた。今年3月で七回忌を迎えたことから、故人の遺徳をたたえようと分団独自に初めて挙行。団員たちは、かけがえのない仲間の遺志を継ぎ、「地域と連携し消防団活動を続けていく」と誓いを胸に刻んだ。

 

津波犠牲の団員らへ祈り


 追悼式には、遺族や団員ら約50人が出席。屯所の車庫に祭壇が設けられ、はじめに1分間の黙とうをささげた。
 気仙町消防後援会の菅野征一会長は「かけがえのない人材だった。最愛の人を失った悲しみを胸に秘める遺族を思うと断腸の思いだ。町民の安全確保のため一層努力する」と誓った。市消防団の河野吉昭団長、佐々木茂光県議、菅野稔市議らが哀悼の意を表した。
 同市消防団は、震災で避難誘導などに当たった団員51人が犠牲となった。津波による失職者、市外への転居者も多く、団員は大幅に減少。震災前80人ほどが所属していた気仙分団は現在、53人に減った。
 同分団の屯所は、全4カ所のうち3カ所が被災。本部機能を置いていた今泉地区の2部屯所も流失し、唯一残った4部屯所を仮拠点としてきた。昨年2月には、市の防災集団移転促進事業により高台に造成された月山団地に新しい3部屯所が完成し、追悼式の準備を重ねてきた。
 遺族代表で焼香した気仙町の佐藤直志さん(83)は、同分団の副分団長だった長男の昇一さん(当時47)を亡くした。祭壇に向かって「息子よ、あれから6年がたった。おまえの分まで生きるよ」と語りかけ、静かに手を合わせた。
 佐藤さんは「遺族のために追悼式を開いていただき、感謝の気持ちでいっぱい。生かされた身として復興を見守っていきたい」と話した。
 津波で犠牲となった同団員の石川政英さん(当時37)の父で、元消防団長の秀一さん(68)は「消防団の集まりがあるたびに『なんでここにいるべき息子がいないんだ』と落ち込み、はんてんを見るのも嫌だった。励みになるものをすべて奪われ、当時は何もやる気が出なかった」と振り返る。
 気仙町の自宅が被災し、現在は竹駒町で生活。心の傷はいまも癒えないが、農業など仕事も徐々に再開し、「毎朝、息子に線香をあげながら『きょうも頑張るぞ』と約束している。息子の分まで頑張らなければならない」と力強く語った。
 遠野分団長は「それぞれの分野で活躍し、希望ある未来が約束された仲間たちが犠牲となり、失ったものはあまりに大きい。震災の風化が懸念される中、犠牲団員の遺志に報いるためにも、この惨状から得られた教訓を心に刻み、地域とともに消防団活動を続けていく」と決意を新たにしている。