製鉄跡もっと身近に、栗木鉄山跡で清掃活動/住田町(別写真あり)

▲ 清掃活動を行いながら、跡地内の環境を確認する千葉代表㊧=世田米

 住田町世田米子飼沢地内の県指定史跡・栗木鉄山跡で26日、町教委と文化財ボランティアによる清掃活動が行われた。明治から大正にかけての製鉄遺跡として平成9年に町指定、11年に県指定の各史跡となっているが、町教委はさらなる史跡価値の明確化に向け、33年度前後の国指定文化財申請を見据える。本年度は内容確認調査などを控える中、参加者は景観を守ろうと熱心にごみを拾い集めたほか、自然資源を生かした産業遺産への愛着や理解も深めた。

 

 産業遺産を学ぶ時間も

 

 清掃活動は毎年、跡地内の雑草が茂る前に両組織が合同で実施。この日は、住民や教委関係者ら約10人が参加し、近くを走る国道397号などから投げ捨てたとみられる空き缶やペットボトルなどを収集した。量は年々減っているというが、10袋以上に達した。
 環境美化を図るだけでなく、今回は栗木鉄山跡について学ぶ時間も設けられた。文化財ボランティアの代表を務める千葉英夫さん(74)が説明役を務めた。
 栗木鉄山跡は主に栗木トンネルの種山側に位置し、近くには大股川が流れる。元治元年(1864)開設の子飼沢高炉が、明治14年(1881)に栗木沢に移設する形で整備。第一高炉が建設され、一時は国内4位(民間3位)の銑鉄生産量を誇った。
 大正9年(1920)に、第一次世界大戦後の鉄鋼不況の影響を受けて閉山した。
 高炉の構造は幕末期以降の洋式高炉の系統に属し、日本における製鉄技術史の中でも極めて重要なものと位置づけられる。鉄山跡全体も、明治から大正にかけての原料産出地で整備された山地型高炉製鉄所跡としては、日本で唯一現存するものとされる。
 平成5、8、9、10年の4回にわたる試掘調査では、閉山時の遺構が極めて良好な状態で保存されていることが明らかにされた。19年の大雨などで第二高炉北側の石垣の一部が崩壊したため、23年に石垣復旧工事が行われた。
 町教委では、これまでの経過や歴史的な価値をふまえ、遺跡の保全とともに住民をはじめ多くの人々に学びの場を提供できる環境整備推進を見据える。28年度に初めて栗木鉄山調査指導委員会議を設け、国指定に向けた取り組みを本格化させた。
 本年度は、内容確認調査を計画。資料に残されている事務所や高炉に関する各種設備の位置特定に加え、工員住宅や分校などもあった「鉄の村」としての申請範囲の検討につなげる。申請時期は33年度前後を目指している。
 栗木鉄山について千葉代表は「木炭を原料としている洋式の最後の高炉であり、周辺に木炭や水力、鉄鉱石と自然資源があったからこそ行われてきた。もっと案内がしやすく、散策などが楽しめる環境になれば」と語る。説明に耳を傾けたボランティアからは、跡地内のカラマツが良好な状態で生育している現状にも関心を向けていくべきとの声も聞かれた。
 文化財ボランティアは、町内の史跡名勝や歴史を学習し、ガイド役となる人材の育成を目指して活動。現在は、町民約20人が所属している。
 千葉代表は「学びながら後世に伝えていくことが大事。関心がある分野だけの活動でも良いので、多くの人たちに参加してほしい」と、今後を見据える。ボランティア活動の問い合わせは、上有住地区公民館(℡48・2013)へ。