松原再生へ向け本植栽、〝白砂青松〟復活に関係者一丸/陸前高田(動画、別写真あり)

▲ 地元の子どもたちも参加し、高田松原で初めての本植栽が行われた

 本年度から本格的にマツの植栽が始まる陸前高田市の「高田松原」で27日、キックオフイベントとなる再生記念植樹会が開催された。数百年かけて形成された元のような松林となるためには、少なくとも数十年の歳月を必要とするが、松原の復活に携わる人たちは「偉大な先人たちがそうしたように、1本ずつ地道に育てていこう」と決意を新たにした。地元の子どもらも「大きくなったら昔みたいな高田松原を見たい」と、苗の成長に夢を託した。

 

僕らが大きくなるころには…、記念植樹会に300人参加

 

 植樹会は県と同市が主催。これに同市のNPO法人・高田松原を守る会(鈴木善久理事長)や同市森林組合(菅野勝郎組合長)などを加えた「植樹会実行委員会」が主管した。
 同日は陸前高田の小学生をはじめ、地元住民、松原再生活動の支援者や国内外の有志ら、およそ300人が参加。
 開会式では、達増拓也知事、戸羽太市長らがあいさつし、植樹の日を迎えられたことへの感慨や、支援に対する感謝を述べた。
 来賓祝辞のあと、松くい虫に耐性があるクロマツの苗を東北の被災3県へ贈っている鳥取県と、「日本の森・滝・渚全国協議会」から、それぞれ苗木が贈呈された。
 この日は天候が不安定で、開会式はあいにくの降雨となったものの、植樹作業に入ると雨雲が途切れ、太陽が顔をのぞかせた。
 今回の植樹面積は、防潮堤第1線堤と第2線堤の間のおよそ0・25㌶。参加者は防風柵の内側に、約1㍍40㌢間隔でクロマツ1250本を植えていった。さらに、陸前高田と鳥取の児童、県と市の関係者らが記念樹の植樹、記念標柱の建立も行った。
 閉会式では、高田小5年の佐々木彩愛さん、石川優成君、出羽海成君の3人が、「緑の誓い」として「森づくりの大切さ、高田松原のすばらしさを引き継いでいく。私たちもこの苗木に負けないよう大きく育ち、青い海、緑豊かな高田松原を育てていきます」と力強く述べた。
 回覧板で植樹会のことを知り、自ら参加を希望した高田小4年の沢内瑠菜さんは、震災当時まだ3歳。それでもおぼろげに高田松原の記憶があるといい、「大人になったとき、大きく育ったマツを見るのが楽しみ。松原が元のように戻ったら、砂浜で遊びたい」と希望を語った。
 高田松原を守る会の副理事長で、造園業を営む小山芳弘さん(65)は、植栽した場所の土の状態などについて「排水などで心配な面もあるが、試験植栽した苗の様子を見ながら、改良すべき点は改良して地道にやっていきたい」と話していた。
 高田松原に初めてマツが植えられたのは、ちょうど350年前の1667年。高田村の豪商であった菅野杢之助が仙台藩の命を受けて行ったといわれ、その後も植樹事業に取り組んだ。
 享保年間(1716~1736)には、今泉村の仙台藩御金山下代・松坂新右衛門も同様の事業を展開。強い潮風と砂の被害から農地を守ることが目的であり、どちらも私財を投じてのことだったという。
 杢之助翁が最初に植えた苗は半分以上が枯れたといわれ、新右衛門翁も根を活着させるまでには数十年の苦心があったと伝わる。しかし長年の努力が実り、かつて「立神浜」と呼ばれた荒涼たる砂浜は、緑豊かな高田松原へと変貌。防風・防潮・防砂の林となり、不毛の地だった高田平野や気仙川流域での農耕を可能にした。
 守る会理事の及川征喜さん(73)は、「350年前に初めてマツが植えられたあと、何度も自然災害の被害を受け、それでも7万本の松林を形成してきた。国内外の人の協力を受け、こうして再び植樹ができるまでになったことがうれしい。新しい歴史をこれから少しずつ積み重ねていけばいい」と、先人のたゆまぬ挑戦に思いをはせた。
 同会による本植栽は、本年度と30年度は3000本ずつ、31年度は4000本を予定。
 今年は6月11日(日)、18日(日)、25日(日)に植樹会が実施されることになっている。