木造三尊像の修復完了、世田米・光勝寺の県指定文化財/住田町(別写真あり)

▲ 9カ月ぶりに中央部に安置された本尊阿弥陀如来像=世田米・光勝寺

 住田町世田米の貴宝山・光勝寺(宮崎宏成住職)に1日、修復を終えた県指定文化財・本尊阿弥陀如来像が安置された。東日本大震災で光背などが破損被害を受け、老朽化などの影響も懸念されていた中、財団支援を生かして安定化作業などを実施。両脇に位置する木造観音菩薩坐像と同勢至菩薩坐像は平成27~28年に修復が行われており、関係者は3年にわたった事業の完了に笑顔をみせた。
 

3年越しの念願かなう

 

 本堂では、修復作業を担った㈱明古堂=東京都世田谷区=の明珍素也代表(46)らによって、安置作業が慎重に行われた。見守った総代らからは「やっと戻ってきた」との声が漏れた。
 昨年9月に本尊を預かった明珍代表。「台座や光背がかなり傷んでおり、ヒノキ材で補強しながら一つずつ組み立て直した。できるだけ前の姿をそのまま残すように作業を進めた」と振り返る。
 作業後、開眼法要を執り行った宮崎住職(72)は「8月20日の『お施餓鬼』には、皆さんにお見せできる。支援があってこそ」と安堵の表情。総代長の松田剛利さん(71)「3年は長かったが、われわれではどうすることもできなかった」と、感謝を込めた。
 中央に位置する高さ51・7㌢の本尊は、昭和29年4月に県指定を受けた。脇仏で高さ31㌢の観音菩薩坐像と勢至菩薩坐像は、同44年6月指定で、いずれも木造。「平泉の仏像とすり替えても見破ることが困難」とされ、産金などを通じた気仙と平泉のつながりの強さも示す。
 修復のきっかけとなったのは、盛岡市の県立博物館で平成25年に開催されたテーマ展「平成の大津波被害と博物館―被災資料の再生をめざして―」。この中で木造像が紹介された。
 三尊像は東日本大震災での被災や老朽化に加え、江戸時代に行われた修復状態の悪さといった課題も抱えていた。
 こうした中、仏像を目にした文化財関係者の橋渡しによって、住友財団や文化財保護・芸術研究助成財団などから助成が受けられることになった。
 寺や総代などからの自己負担がない形で修復。3カ年事業で、両脇仏は昨年7月、2年越しの修復を終え本堂に戻された。
 その2カ月後に本尊が運び出され、本堂内はこれまで脇仏のみの安置となっていた。修復では本尊、脇仏とも新たな金箔の貼り直しはせず、当時の文化様式を極力生かす形で作業。光背や台座の安定化も行われた。
 修復と並行し、陸前高田で被災した博物館資料の修復などに尽力している東京都の昭和女子大学が木質調査を実施。調査の結果、つくられた年代は平安末期と確定できたという。
 本尊の安置には、県立博物館の赤沼英男首席専門学芸員(59)も立ち会った。「さまざまな支援がつながり、3年を経て修復されたことに感銘を受けている。修復の過程を通じて、制作技法や素材、年代などの特定にもつながった。新たな歴史を解き明かすきっかけの一つにもなれば」と話していた。