木造船に技術結集、船大工・村上さん(広田町)建造/陸前高田

▲ 45年ぶりに長さ約6㍍の木造船を手がける村上さん=広田町

 陸前高田市広田町大祝の船大工・村上央さん(74)がつくる木造船がまもなく完成する。建造しているのは、レジャー用の櫓漕(ろこ)ぎ船。全長4、5㍍級は数多く手がけてきたが、6㍍の和船を建造するのは45年ぶりで、「この大きさは最後の仕事となるかもしれない」と心を込めた。16日に進水式を予定し、「喜んでもらえたらそれでいい」と期待を込める。

 

45年ぶりの全長6㍍級

 

 関東圏のマリンレジャー愛好者から注文があり、5月上旬から建造に取りかかった。大きさは、長さ約6㍍、幅約1㍍30㌢、深さ約50㌢で、気仙スギ材やヒノキを使った。
 船には、村上さんの高い技術が随所に光る。敷板や船首部の木材を火であぶりながら、水をかけて冷やして曲げる「焼き曲げ」は、船大工の経験が問われる工法の一つだが、その道60年の大ベテランは難なくこなす。
 船は『海の日』(17日)の前の16日に、係留先の神奈川県三浦市の観光地・油壺地区で進水式を行う。村上さんも現地に足を運び、作品の〝門出〟を見守ることとしている。
 広田中卒業後、船大工の父の仕事ぶりにひかれて同じ道を歩み始めた。地元の造船所などでの6年の修行を経て、村上造船所をおこし、独り立ちした。
 当時は木造船が主流。昭和40年代の全盛期は北洋に出る60㌧級のサケ・マス漁獲船もつくられた。
 その後、腐食の心配がいらず、管理が楽なFRP(繊維強化プラスチック)製が普及し、木造船は減少。産業としても衰退の一途をたどり、村上さんによると、職人は現在全国で100人を切っているという。
 「気仙丸」をはじめ、江戸海運の主役とし活躍した千石船の復元に取り組んだ地元の船大工集団「気仙船匠会」も高齢化が深刻だが、メンバーの村上さんは「生涯現役を」と踏ん張る。
 震災直後は津波で漁船を失った漁業者からの注文が舞い込み、30隻近くの小型船を新たにつくった。
 「木造船を求め続ける漁師などに支えられて仕事ができることに感謝しないといけない」と語り、「消滅していく産業でも自分はこれしかできない。仕事がある限り頑張っていく」と思いを新たにする。