東日本大震災から6年4カ月 自立進む被災地、支援団体などの撤退相次ぐ

▲ NICEによる本県高校生を対象としたグローバルユースキャンプ。地元団体も協力して実施された=米崎町

 東日本大震災の発生から11日で6年4カ月。震災をきっかけとして気仙へ入り、支援活動を展開してきた団体などの「撤退」が、この夏に相次いでいる。背景には、本設施設の再建によるまちづくりの本格化、地域活動が住民主体で行われるようになってきたことなど、ハード・ソフト両面における着実な復興の進展がある。これまで支援に携わってきた人たちからは「この地域を離れても、ずっと思いをかけ続ける」といった声も聞かれ、今後は〝一応援団〟として気仙とかかわりを持っていくという。

 

形変え〝応援〟は継続

 

 大震災発生により、気仙3市町では100をゆうに超える団体が活動。物資の輸送・分配や医療支援といった緊急的なものに始まり、心のケア、児童生徒に対するフォロー、仮設住宅におけるコミュニティーづくり──など、求められるフェーズ(段階)の変化に合わせた事業を展開してきた。
 震災発生から7年目となった本年度、こうした団体や、企業による被災地支援事業が撤退の時期を迎えている。陸前高田市では、NECネッツエスアイ㈱が開設した竹駒町のコワーキングスペース「ひまわりハウス」が6月で閉鎖。また、市立図書館が本設オープンを迎えるのに合わせ、㈳シャンティ国際ボランティア会が小友町で運営するコミュニティー図書室も28日で閉じることになった。
 こうした団体の多くは、復興が進むにしたがって活動内容の転換や縮小を図り、段階的に地元住民へ事業を引き継ぐなどし、地域の自立を促してきた。ひまわりハウスやコミュニティー図書室も、「支援が必要な段階は過ぎ、役割を終えたと判断した」としており、市内の住民団体等が今後の受け皿として見込まれているという。
 同ハウスの浅川人美さん(62)は「地元のNPOが法人化するなど、収益をあげながら事業を展開するという動きが見えてきた」といい、被災地が〝支え〟なしで歩み始めたことを喜ぶ。
 また、NPO法人NICE(日本国際ワークキャンプセンター)も、東北の被災地支援を展開する「東北事務局」を9月いっぱいで閉鎖することを決めた。同法人は、陸前高田市米崎町の松月寺を活動拠点の一つとしていたが、東北事務局閉鎖に伴い同町からも撤退する。
 発災当初のがれき撤去に始まり、漁業などのなりわい支援、学童クラブ等での学習支援、交流人口を増やすための活動と、少しずつ内容を変化させながら、外国人ボランティアらをコーディネートしてきたNICE。8、9の両日、気仙両市で行われた高校生対象の「グローバルユースキャンプ」をはじめ、次代を担う10代の育成にも注力してきた。
 同事務局長の三上はる菜さん(27)は、「受け入れてくださる地元の方も、最初は『ボランティアってなんだべ』とけげんそうにしてらしたが、次第に『ぜひ来て』と快く迎えてくれるようになった。今では、若い世代にいろんなことを体験させたいと思ってくださっている」と、ここ数年の住民の変化を感じている。
 ボランティアや生徒たちを受け入れるにあたり、住民たちは市の産業や食を通じて、地域の〝ファン〟も増やしてきた。支援団体を介在しない、個々の交流も生まれている。「支援者と被支援者」「与える側と与えられる側」ではなく、人と人との対等な付き合いが始まったことは、「震災前の日常を取り戻しつつある」として、引き上げ時期を見極める重要な指針となった。
 しかし、撤退に伴い、これまで築かれてきた住民と団体との関係性が急に寸断されるわけではない。三上さんは「常駐でこそなくなるが、地元団体と連携し、かかわりを持ち続けられたら。今回のキャンプでも、市のまちづくり協働センターがファシリテーターとして入ってくれている。地元の方主導のプログラムの中に、NICEとして協力できることがあると思う」といい、今後も形を変えて気仙地域を応援していきたいとしている。