伝統の七夕つなぎ続け、2地区で「うごく」「けんか」/陸前高田(別写真あり)

▲ 街灯が両脇に立つ「駅前通り」など、新しい中心市街地を山車が初めて運行=高田町
山車2台が豪快にぶつかり合う迫力のけんかが繰り広げられた=気仙町

山車2台が豪快にぶつかり合う迫力のけんかが繰り広げられた=気仙町

 陸前高田市で7日、長い伝統を誇る二つの七夕行事が開催された。高田町の「うごく七夕」は今回初めて、かさ上げ地に造成された新市街地一帯で、気仙町の「けんか七夕」は昨年に続き気仙川左岸側での実施となった。今年も㈱カスミ(茨城県つくば市)による「七夕体験学習」の子どもらが両七夕の引き手として参加するなど、多くのボランティア参加者が行事をサポート。一日を通して小雨がそぼ降るあいにくの天候となったが、震災後も欠かさず伝統をつないできた住民たちは、降雨をものともせず、区画整理事業による工事が続くまちに大きなかけ声を響かせた。

 

工事続くまちにかけ声


 高田町の伝統行事「うごく七夕」は、いわゆる「引き七夕」の一つ。亡くなった住民と祖先の慰霊のために始まったとされ、東日本大震災後は津波犠牲者の鎮魂、数々の支援に対する感謝を示すものとして開催されている。山車装飾は各地区の腕の見せどころで、それぞれの美しさ、昼と夜の装いの違いを見比べる楽しみも。震災前は米崎町の沼田を含め12の祭組が参加していた。
 住民の減少等が原因で、山車づくりや夜の運行に支障をきたす地区が出るなど、震災による影響は長く尾を引く。高台移転や災害公営住宅への移転が進み、地区内の状況や住民の意識も年々変化しているが、それでも参加者は生まれ育った地域への愛着を胸に行事を継承。地域の和と輪をつなぐとともに、県内外から毎年参加するボランティアらとも絆をはぐくんできた。
 区画整理事業をはじめとする復興工事が続き、うごく七夕はたびたび運行経路の変更・限定を余儀なくされてきた。震災前はJR陸前高田駅を中心にすべての山車の「集結」が見られたが、ここ2年ほどは盛土の間をぬって運行するのが精いっぱいで、1カ所に集まることができなくなっていた。
 しかし今年はようやく、かさ上げ地の中心市街地整備にめどがたち、山車が〝まちなか〟を運行。参加した大石、鳴石、森前、駅前、中央、大町、荒町、和野、川原、松原、長砂の11祭組のうち、鳴石だけは道路工事の関係で市街地へ来られなかったが、久々に10祭組の山車が同じ場所にそろいぶみした。
 降雨のため、装飾には透明のシートがかぶせられるなど、本来の美しさを発揮することはできなかったものの、それぞれの山車は「本丸公園通り」や「駅前通り」といった新しい道路を威風堂々と練り歩き、引き手の「ヨイヤサー」のかけ声が雨粒をはねつけた。また、去年までは工事で封鎖されていた場所にも立ち入れるようになったことから、そこの地区の参加者らが「帰ってきたぞ!」と感極まってさけぶ場面もみられた。
 大町組の菅野秀一郎さん(41)は、「アバッセへ買い物に来た人が、外へ出て見物してくれる。やっぱり〝まち〟の中で山車を引けることには格別な思いがある」といい、10の祭組が一堂に会した様子には、「よその山車を見られるというのは、自分たちにとっても実はうれしいこと。みんなそれぞれ『うちのが一番』と思いながらも、ほかの祭組の装飾を見るのを楽しみにしている」と喜んだ。
 一方、同市気仙町では、「けんか七夕」が開かれた。900年続くとされる今泉地区自慢の伝統行事。震災後は毎年、場所や人手、運営費が限られ、開催が危ぶまれる中、気仙町けんか七夕祭り保存連合会(佐々木冨壽夫会長)のメンバーが力を合わせ継続する。雨天の中、昨年と同じ会場で豪快な「けんか」を繰り広げ、地域に活気をもたらした。
 震災前まで四つの祭組がそれぞれ所有していた山車は、津波で1台を残して流失。23年は1台のみ運行し、翌年以降は2台によるけんかが続く。昨年は、例年のメーン会場である今泉地区中心地でかさ上げ工事が進められているため、気仙川をはさんで対岸にある同町字奈々切の大通り「東浜街道」(市道今泉高田線)で開催した。
 7日は朝から地域住民らが集い、「カスミ」の新入社員をはじめ多くのボランティアも駆けつけた。本年度で閉校する気仙中生や、同市と連携・交流に関する協定を結ぶ立教大生による埼玉県和光市の「和光太鼓」の演奏が祭りを盛り上げた。
 昼過ぎに行われた「けんか」は、威勢のいいかけ声とともに対面する2台が勢いよく激突。アザフで華やかに彩られた山車の総重量は約4㌧。まつり関係者が「本番」という夜のけんかも迫力のぶつかり合いを見せ、見物客らの歓声が上がった。
 気仙中の千葉大輝君(3年)は「けんか七夕は大好きな祭り。伝統行事なのでこれからも引き継がれてほしい」と期待を込めた。
 当初、復興工事の影響で会場確保のめどが立たず、2月には拠点の集会所も解体。準備作業にあたるメンバーが限られるなど保存連合会の負担は深刻だが、「伝統を絶やすまい」と踏ん張り続けている。
 佐々木会長(64)は「今年は中高生も準備を手伝ってくれて頼もしかった。何とか無事、開催できた。工事業者をはじめ、協力してくれた多くの人に感謝している」と笑顔で語った。