張子俵牛「首ふりべーご」、 熊谷睦男さんの指導で高田コミセンが製作講習会/陸前高田

▲ 熊谷さん㊧の指導を受け、俵牛の木型づくりに励む参加者たち=高田一中

 陸前高田市に伝わる郷土玩具の一つで、最後の製作者が20年ほど前に亡くなって以来途絶えていた張り子の「俵牛」(通称・首ふりべーご)を復活させようと、高田地区コミュニティ推進協議会(横田祐佶会長)主導の製作講習会が行われている。俵牛のデザインを考案した経験のある熊谷睦男さん(83)が講師を務め、9日までに延べ32人が張り子用の木型づくりに励んだ。同協議会では今後、保存会発足も見据え、〝完全復活〟への取り組みを進めていく。

 

郷土玩具復活へ第一歩

保存会発足も見据える

 

 俵牛は、玉山金山から産出された金を運ぶ牛の姿を模した玩具。高田町栃ケ沢の村上家に代々伝わっていたもので、江戸時代にはすでに作られていたという。
 昭和30年代、当時の高田中学校で美術教師をしていた熊谷さんのもとを、高田郷土玩具製作所を構えて俵牛の製作にあたっていた村上新太郎さんが訪ねてきた。村上さんは、〝郷土の俵牛〟にふさわしいデザインを考えてほしいと熊谷さんに依頼。塗装方法などについても相談しながらデザインを一新し、陸前高田の歴史を知ることができるお土産として再興させた。

 完成した俵牛の木型


完成した俵牛の木型


 以来、熊谷さんと村上さんは二人三脚で俵牛を製作。同40年代には砥の粉(砥石の粉末)に木工用接着剤を混ぜる〝熊谷流〟の下地を編み出し、50年代からはかぶれない工芸用の漆を塗料に用いるようにしたりと、工夫を重ねながら伝統をつないできたという。
 しかし、村上さんが亡くなった20年ほど前から、その伝統も途絶えてしまっていた。長く復活の機会を探していた熊谷さんのもとに、うれしい提案が届けられたのは今年6月。「地元の歴史を学び、誇りを持ってもらいたい。地域とのふれあいの機会にもなれば」と考えた高田小学校の菅野義則校長(57)から、子どもたちにできる地域貢献の一環として俵牛づくりの申し入れがあった。
 この話を聞いた同協議会も協力。地域住民に呼びかけ、これまでに7月27日、8月2日、9日の3回、第一中学校の技術室で製作講習会を開催した。
 当初は対象の6年生32人が使う張り子用の木型を作る予定だったが、高田町に住む武藏榮治さんが児童全員分と予備の35個を一人で作り上げたため、熊谷さんの指導を受けて大人たちが使用する分を作ることになった。
 製作講習会に参加したのは延べ32人。講習会開催の知らせを聞いた住民の中には、「平日の日中だから講習会には参加できないが、後々関わりたい」と話す人もいたという。同協議会の横田会長(74)は、「今のこの動きを途切れさせないようにしながら、最終的には保存会発足に持っていけたら」と展望を語る。
 高田小での俵牛づくりは、市立博物館の本多文人館長による郷土玩具の講演会を開いたあと、9月に行われる予定。
 菅野校長は「子どもと地域の方々がふれあう場となることが一番大きい。郷土の歴史を知って誇りを持ち、地域の方からたくさんのことを学んでもらえたら」と期待する。
 講習会の参加者を見回し、「ゆくゆくは俵牛を製作するグループに」と熱を込める熊谷さん。「観光物産協会と連携して販売できれば完全な復活。講習会に来ている人たちは高田の歴史を新たにつくる人たちだ」とうれしそうに話していた。