〝共生〟の木造仮設住宅、被災者以外の入居3分の1超に/住田

▲ 整備から7度目の秋を迎えた本町仮設住宅団地=世田米

 東日本大震災から6年半が経過し、住田町が整備した木造仮設住宅団地では、被災者以外の入居世帯割合が3分の1を超えた。気仙両市では宅地造成が進み、被災者の入居数は日々減少が続く半面、来年以降の〝卒業〟を見込む世帯も多い。団地内ではしばらく共生が続く中、被災者からは「入居は多い方がいい」といった声が聞かれるほか、新たな住民ルールづくりの必要性も浮かび上がる。

 

自治運営新たな段階へ

 

 町は、発災3日後に木造仮設住宅の整備を決断。世田米は火石と本町、下有住は中上にそれぞれ整備し、計93戸を構えた。
 すべての団地が木造戸建て型で、風呂やトイレを完備。柱、床にはスギの板や集成材を用いており、プレハブ型と広さは同じだが、内部は木の温もりにあふれる。完成当時は3団地で計261人が暮らした。
 火石(13戸)は、国道整備に伴い昨秋で入居が終わり、全戸が払い下げられた。本町(20戸)は建設当時のまま残り、中上(63戸)では11戸が再利用などのため撤去された。
 町のまとめでは、8月末時点での被災者利用は本町が8世帯で25人、中上が17世帯で38人。合計では25世帯で63人となり、完成当初時との比較では3割を切った。
 ただ、平成30年度以降の住宅再建を見込む被災者も少なくなく、復興に向けた需要はしばらく残る。
 被災者以外の入居は、本町が4世帯4人、中上が9世帯11人。地域おこし協力隊や警察官、町職員、住田を拠点とする一般社団法人の職員らが暮らす。入居している38世帯中13世帯が被災者以外の利用で、割合は3分の1を超えた。
 現在、本町の自治会長を務める小林捷義さん(78)は「住宅再建などで、長く一緒にいた方が卒業していくのには、やはり寂しさがある。どういう形であれ、団地の中に人はいた方がいい。夜になって明かりがあれば、それだけで安心できる」と語る。
 自宅周辺の草刈りなどは各世帯に任せるなどし、現在自治会内での困りごとはとくにないという。「これ以上少なくなってくれば、問題が出てくるかもしれない。もし、ここに住みたいという人がいれば、歓迎したい思いがある」とも話す。
 「単身で住む環境としては、非常にいい。不便を感じることはない」と語るのは、中上に暮らす町地域おこし協力隊の金野正史さん(30)。今年3月に着任し、日中は上有住地区公民館を拠点とする。
 整備直後から暮らす住民とは顔を合わせればあいさつを交わし、「ご近所さんに鉢植えの水やりをしてもらったこともあった」と振り返る。日中時間帯は業務のため中上から離れ、週末もイベントの運営などで留守にすることが多く、「ちょっとしたコミュニケーションを積み重ねたい」と今後を見据える。
 朝方からの強い雨がやんだ今月12日午後、中上では自治会長の柳下八七さん(67)が団地周囲の草刈りに励んでいた。「草ぼうぼうにしておくと、ヘビが出るから」と、住宅と駐車場を結ぶ通路周辺などで刈払機のエンジン音を響かせた。
 かつては旧下有住小学校のグラウンドだった中上は敷地が広く、住民共有のスペースも多い。全体の入居者減に伴い、定期的な班長会議はやめたものの、班単位での文書配布などは続けている。「最初の被災者同士による自治会ではなくて、今住んでいる人たちとしてのまとまりやルールもこれからは大切になる」と話す。
 入居者に孤立感や負担感を抱かせず、ともになごやかに過ごす雰囲気づくりは今後も欠かせない。各団地には町社会福祉協議会や一般社団法人・邑(ゆう)サポートのスタッフが入っており、住民たちは周囲のサポートも支えとしながら、共生の日々を過ごす。