ケセン語で『啄木のうた』、短歌を土地言葉に〝翻訳〟/大船渡の女性らが協力し一冊に

▲ 黄色い表紙が目印の『東北おんば訳 石川啄木のうた』

 大船渡市の女性たちが〝方言指導者〟として協力した『東北おんば訳 石川啄木のうた』(未來社刊/税抜き1800円)が、このほど発売された。啄木が残した短歌100首が、ケセン語によって生き生きとよみがえるとともに、これまでにない歌の解釈や味わい方まで引き出されている。同書の編著者で詩人の新井高子さん(埼玉大准教授)が本編に挿入したエッセーでは、三陸海岸と津波、啄木とのかかわり、土地言葉が与えた歌の魅力などについても、柔らかい文体で考察。「郷土の文学者」とその作品の意外な一面に触れることができる。

 

 新井さんは東日本大震災の発生をきっかけに、「石川啄木の短歌を、その土地の言葉に訳したい」と考え、日本現代詩歌文学館(北上市)を通じて平成26年11月に大船渡市を訪問。同市の仮設住宅に暮らす中高年の女性たちが中心となり、方言訳に協力することになった。
 〝翻訳作業〟は「詩の遊び・わくわくな言葉たち―大船渡の声」という名の催しとして三陸町越喜来の杉下仮設住宅で始まり、28年9月まで市内5カ所の仮設団地や市総合福祉センターなどで計9回開かれた。参加人数は延べ80人以上、訳した歌は100首にのぼる。
 全国の読者にも分かりやすいよう、書名には便宜上「東北」と記されているが、実質的には完全なる「ケセン語」訳。年長の女性たちに対する親しみと尊敬を込め、「おんば」という語もタイトルに加えられた。
 催し参加者の一人である「あかね詩の会」の平山睦子さん(61)=大船渡町=は、「同じ気仙でも浜が違うと言葉も違う。〝おんば〟たちも毎回真剣に、『これはこう語るんだ』『いや、そうでねえ』と侃々諤々(かんかんがくがく)に盛り上がって、本当におもしろかった」と振り返る。
 「おんば訳」によると、本紙の紙名の由来にもなった有名な歌「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる」は、「東海(ひんがす)の小島(こずま)の磯(えそ)の砂(すか)っぱで おらぁ 泣ぎざぐって 蟹(がに)ど戯れっこしたぁ」となる。
 「かなしきは かの白玉のごとくなる腕に残せし キスの痕かな」という色っぽい歌さえ、〝おんば〟たちの手にかかれば「せづねぇのァ あの白い玉みだいな腕(けァな)さ残した チュウの痕だべ」と、思わずほおが緩んでしまうような、親しみある味わいに生まれ変わる。
 啄木の歌は、青春の胸の痛みや孤独な内面といった内容から愛唱されることも多く、本人についても、ナイーブさや〝気取り屋〟な面が強調されがちだが、おんば訳には、生活に根差した目線と、どこか骨太なたくましさとが漂う。一方で、作品が全くの〝別物〟になってしまっているのではなく、もともと歌に込められていた思いや意味を「〝逆輸入〟した気がする」と平山さんはいう。
 編集協力にもあたった同市の詩人・中村祥子さん(54)は、「啄木も東北人なので、歌を詠むときは地元の言葉で考えてから標準語に直しているはず。それを『元の言葉』に戻すことで、改めて浮かび上がってくるものがあると新井さんも感心しておられた」と説明する。
 新井さんは、大らかさとこまやかさ、笑いを愛する心を持つ大船渡の「おんば」たちの訳が、同書においてどんな意味を持っているかや、当時の様子についてもエッセーで言及。ケセン語訳の催しを通して、大船渡に強く魅了されたとつづっている。
 平山さんは「これを読むと、なぜ都会の人たちが大船渡を好きになってくれるのか、その理由まで分かると思う。私たちも『言葉って大切な文化なんだなあ』と気づかされた」といい、地元に対する誇りを新たにしていた。
 ケセン語に訳された歌は、大船渡市のNPO法人おはなしころりんのメンバーであり、編集協力にもあたった金野孝子さんが朗読。各章にQRコードがついており、携帯電話からアクセスすればおんば訳を耳で味わうこともできる。
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