伝統玩具「俵牛」製作会 、地域住民が張り子づくりに挑戦/陸前高田
平成29年10月8日付 7面

陸前高田市の高田地区コミュニティ推進協議会(横田祐佶会長)は6日夜、高田町の市コミュニティホールで、張り子の郷土玩具「俵牛(通称・首ふりべーご)」の製作講習会を開催した。20年ほど途絶えていた伝統の玩具を復活させようとの取り組みの一環で、今回は、最後の製作者・村上新太郎さんのおいにあたる村上俊一さん(60)=高田町=も参加。子どものころに見た新太郎さんの様子を思い出しながら、和紙を一枚ずつ貼り付ける作業に根気よく取り組んだ。
最後の製作者のおいの姿も
俵牛は、玉山金山から産出された金を運ぶ牛の姿を模した玩具。高田町栃ケ沢の村上家に江戸時代から代々伝わっており、市芸術文化協会長の熊谷睦男さん(83)の手によって一度はお土産品として再興したものの、20年ほど前に新太郎さんが亡くなってからは製作が途絶えていた。
復活へ向けた取り組みは、郷土玩具の意義について学び、地域に発信しようという高田小学校からの依頼を熊谷さんが受けて始動した。高田コミセンがこれに賛同し、地域住民向けの製作講習会を7月から実施。俵牛の技術を学び受け継ぐとともに、同校児童らを指導する〝講師役〟の育成に努めている。

最後の製作者・新太郎さんのおいにあたる俊一さん㊨と、かつて俵牛の再興に尽力した熊谷さんが和やかに語らう場面も=同
今回の製作講習会には、7人の地域住民が参加。製作工程のうち、木型に和紙を重ねて貼り付けていく張り子づくりに挑戦した。
参加者たちは、熊谷さんの指導を受けて根気のいる作業に黙々と取り組んだ。この日貼られた和紙は土台となる部分で、これを乾かしたのち、さらに和紙を5回重ねて貼っていく。
この日の参加者の中には、最後の製作者・新太郎さんのおいにあたる俊一さんの姿もあった。これまでの製作講習会は日中に開かれていたため、仕事がある俊一さんはなかなか参加することができず、今回初めて顔を出すことができた。
家同士が近く、頻繁に新太郎さんの作業場へ遊びに行っていたという俊一さん。当時は子どもだったために製作に携わったことはないが、作業工程は何度も繰り返し見ていたといい、「『こんな感じだったかな』と思い出しながらやっている。(出来は)まあまあじゃないですかね」と表情を和らげた。
20年の歳月を経て、復活の兆しをみせた郷土玩具・俵牛。俊一さんは「作業工程は大変でとても手間がかかる。もう誰も作る人は現れないだろうと思っていたからうれしい」と喜び、「ぜひうまくつないでもらいたい。子どもたちもやってくれているというのは、先がずっと続いていく感じがする」と今後に期待していた。